「アキバ系」の明日は


「パソコンおたく」が半ば死語になりかけている

 ここ十年の間に、パソコンとインターネットが学術用・事務用やマニア用だけでなく、一般大衆にも広く普及した。パソコンも携帯もインターネット接続環境も安価に入手できるようになったのが一番の要因であろう。

 かつては、パソコンに詳しいというだけで「人間の友達がいなくて、機械にしか友達になってもらえないなんて可哀想に」とか「コンピュータを使う奴はみんな0か1かの二者択一的な考えしかできない」と言われたり、メールにまめに返信する人も「そんなしょっちゅうメール送って遊んでる暇があったら、ちゃんと現実の人間付き合いをしなさい」と言われたりしたものである。

 それがどうだろう、これまでそのように非難していた人も、ある日突然パソコンを買い揃えてインターネットを楽しみ、あるいは携帯メールに病み付きになり、何かトラブルがあるとパソコンマニアの知恵袋を頼りにする、そんな姿が日常のものとなった。今時、中高生でメールアドレスを持っていない人は、クラスに片手で数えるくらいしかいないだろう。高齢者でさえ携帯メールを使う人が多くなったし、パソコンを「ボケ防止も兼ねた老後の趣味」にしている人もよく見かけるほどとなった。

 かつては「コンピュータ技術なんて仕事に活かせるのでなければ、金と時間がかかるだけで勿体ない。わざわざ高いパソコンでゲームしたり、趣味のパソコン通信なんて無駄遣いもいいところだ」と思われていたのがまるで嘘のようである。ちょっとパソコンを使えるというだけで、その技術が重宝され感謝されるという時代になってきた。

 また、昔はパソコン通信やインターネットを悪用した犯罪がニュースに上ると、まるでパソコン通信やインターネットを使うマニアはみんな危ない存在でもあるかのようにレッテル貼りされることもあった。しかし今ではインターネット犯罪が昔より多くなったにもかかわらず、以前よりは冷静な判断のできる人が多くなってきた。実際にインターネットを使った事があれば、悪いのはインターネットそのものではなく利用法であり、利用法さえ気を付ければ健全に利用できるということが、ちゃんとわかるのである。


アニメマニアの地位向上の難しさ

 対してアニメのマニアとなると、かつてのパソコンマニアほど簡単な地位向上は難しいと言える。かつてパソコンマニアでなかった一般人は、仕事とか、友人とメールを送るなど「必要に迫られて」パソコンを使うようになった。必要に迫られたからこそ、ここまでパソコンとインターネットが一般にも認知され、パソコンマニアの急激な地位向上が可能となったのだ。

 しかしアニメは芸術作品であって趣味の領域を出ないから、「必要に迫られる」ことなど、あまりない。テレビや映画と同じくらい、見なくとも日常生活に何ら差し支えないものである。見ないからこそ、理解するのは難しい。

 なお悪い事に、子供時代にアニメを楽しんできた大人をターゲットとした優良な作品がいくらあっても、大抵は深夜の時間帯に放映されているから、余程の物好きでなければ見る事はおろか、気付きもしない。それではゴールデンタイムに放映すれば良いかというと、視聴率の不安からそんな冒険などできない。結局、宮崎駿アニメのような例外を除けば、子供かマニアを対象にしなければアニメは売れないというのが現状であり、子供層とマニア層をターゲットとした作品ばかり作られる。また、安価になって一般人が使うようになったパソコンにインターネットや、カリスマ的魅力の俳優やレトロな純愛が一般人にウケた韓国ドラマとは違い、今のところ、アニメには一般人に魅力を感じさせるような決定打と言えるべきものがない。だから余計に一般人が興味を持つ事などなく、やはり見ないからこそ、理解するのは難しい、となる。

 とは言え、そもそも地位向上なんて必要なのかという疑問も当然あるだろう。現状のままでよい、理解しない奴はいつまでたっても理解しないのだから、放っておけばよいのだ、と。あるいは、“どうせ俺たちは世間から理解されないのだから、堕ちるところまで堕ちるのさ”とばかりに開き直り、恥じらいを全くかなぐり捨てて過激なエロ系に走るマニアも見られるし、そういう人は「俺たちの楽しんでるような世界には、なまじ一般人に知られて踏み込まれても迷惑だ」などと言うものだ。

 アニメマニアの地位は果たして向上したのかというと、比較でいうなら向上しただろう。単にアニメマニアであるというだけでネクラだのロリコンだの犯罪者予備軍だのと、まあ有る事無い事言われて、今では考えられないほど迫害されていた十年以上前に比べれば、確かにだいぶましな時代にはなったし、今はそういう過去の苦労を知らない新しいマニア世代も増えている。まだステレオタイプ的なおたく像が完全に拭いきれないとは言え、最近では「電車男」の大ヒットが、「本当は優しくて純朴なおたく青年」という良いイメージを大衆に広めるまでに至った。経済評論では「萌え銘柄が日本の景気を牽引している」とおおむね好評であり、注目されている。だからこそ、昔より偏見打破だの地位向上だのがあまり叫ばれなくなってきたという事もあるだろう。

 とは言え、だからと言って将来を楽観視するのは時期尚早である。まず、大抵の一般人にとってアニメマニアは自分たちとは別の世界の人間であり、理解しようとも思っていない事に、今なお変わりはない。それは別にその人が100%悪いという意味ではなくて、正しい知識を知る機会がないのが大きな原因である。もちろん正しい知識を持った上で非難されるのならその非難にも甘んじられようが、そうでないのが歯がゆい限りである。

 マスコミ報道にしてもそうで、現在マスコミがおたくに注目しているのは、大抵は本当におたくに理解を示しているからではなく、単に奇異の目を向け「おたく市場は金ヅルだ」と注目しているに過ぎない。その上、最近は一部のエロ系マニアによって“すけべな楽しみ方が全てだ”と言わんばかりの偏った宣伝がされる傾向も見受けられるため、“アニメマニアとはみんな不純な動機を持っているものだ”という誤解の火に油を注ぐ結果となっている。もしまた「おたくバッシング」が再燃すれば、これは格好の攻撃材料になり、結局、健全系専門に楽しんでいるマニアにまで火の粉が降りかかって大迷惑するのは、火を見るよりも明らかである。

 しかし、希望が全くないわけではない。昔「悪魔の音楽」「下品で権威への反抗を助長する不良の音楽」「振り付けも卑猥で野蛮」と大人に酷評されていたロック音楽も、今では高尚な芸術に昇華し、すっかり大衆音楽として定着したという例もあり、時間が解決してくれる問題なのかもしれない。かつて「右手に朝日ジャーナル、左手に少年マガジン」(朝日ジャーナル=左派系週刊誌、少年マガジン=特にあしたのジョーが目当て)と呼ばれた学生運動世代は、これまで子供のものと思われていた漫画を大人が読むことを一般化させ、それは漫画カテゴリの多様化と大人の鑑賞にも堪える高尚な作品の登場に一役買うことになった。アニメについても、先の文句をもじるなら「右手に“新しい歴史教科書”、左手に電撃コミックス(あずまんが大王など萌え系に強い漫画シリーズ)」とか「右手に2ちゃんねる、左手に萌えアニメ」とでも言うべき、現在のインターネットをフル活用している若い世代が、きっと日本を変えてくれるのではないか。私はそう信じている。


(以下未稿)


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