融和促進
喜田貞吉氏述
一、改善と解放
融和とは何ぞや。もと別々になって居たものが、すっかり融け合って、全く一つのものになってしまう事です。融和促進とは何ぞや。其の融和を催促して、早く実現せしめようとすることです。我が国には今に至ってなお世間の多くの人々が、ある一部の人々を差別して、あれは特殊部落だ、特殊部落民だなどと云って、これを排斥する場合が無いでもありません。是が為に其差別される側の人々が、直接間接に受ける有形無形の損害は、実に非常なものでありますが、差別して居る側の多数の人々は、あまり深くそんな事を考えて見ようとも為ないのです。是はまことに不都合千万な次第で、ただに之を解放なされました一視同仁の、明治天皇陛下の大御心にそむき奉るものであるのみならず、また同一の権利を与え、同一の義務を負わす所の国法を無視したことであるのみならず、之を広く人道の上から云っても、又国家社会の福利の上から考えても、到底許すべからざる罪悪であると申さねばなりません。
こんな見易い道理は、何人にも容易にわかるべき筈であるに拘らず、今以て世間多数の人々は、それが直接自分の身の上にかかわる事柄で無いが為に、つい冷淡に見のがしてしまう。各自が深くも考えずに行う所の其の差別待遇のことが、其の差別される者に取ってどんなにひどい苦痛であり、又国家社会の将来に取って、どんなに大きな結果を及ぼすかということをも、考えて見ようとしないのであります。勿論中には、はやく此の点に気が付いて、双方の間の融和親善を図ったものも少くはありません。国家の役人達も、勿論之を捨てて居たものではありません。併しながら、彼等の行った所は、主として所謂「部落改善」でありました。勿論これは当時に取って、最も必要な手段でありました。事実上差別される者の多数は、後進部落とまで言われた程にも一般世間の進歩に後れて、甚だ気の毒な生活を送って居るものが多かったのであります。随って先ず以て是が改善に尽力し、一般世間との間の距離を少くしようとしたのは、適当なことであったと申さねばなりません。差別される者も、当初は無論之を歓迎しました。其の中からも、献身的に改善の為に尽力する人が少からず出ました。斯くて所謂「部落改善」は、思うたほどまではなくとも、ともかくも相当の成績を挙げる事が出来ました。所々に立派な道路も出来ました。共同浴場も少からず建ちました。トラホーム患者も少くなりました。学校へ行かぬ子供も殆どなくなりました。氏神様のお祭も、一緒にするようになりました。併しそれだけで、果して本当の解放が出来たでありましょうか。
世間の人々が所謂部落民を差別するには、無論其の生活が世間の進歩に後れて居るというのも、確かに一つの理由であるには相違ありませんが、決して是が其のすべてではありません。否更に是よりも大きな理由が、他にあるのです。何となれば、所謂部落の人々の間には、学識人格共に立派なものも多く、また可なりの財産を有し、世間に後れぬ生活をして、もはや改善すべき必要のないものも決して少いことではありません。然るに是等の人々が、果して世間一般の人々から、少しも差別せられる所がないでありましょうか。現に其の部落内に居る人々ばかりでなく、はやく其の部落から離れて、立派に世間に交って居る人々でも、常に戦々恐々として、其の部落出身だという素性を隠そうと努めて居るのは、果して何の為でありましょう。
部落改善はもとより必要であります。併しながら是ばかりで、所謂部落民は決して解放せられるものではありません。それと同時に、世間の人々が本当に部落其の物を理解するのでなければ、やはり「改善された特殊部落」として、幾分の差別待遇は、永く取り遺さるべきものであります。否ただに「改善された特殊部落」として取り遺されるばかりではなく、其の所謂改善された結果として、だんだん真の「人間」に目醒めて来まして、嘗ては「運命」の二字に一切をあきらめて、未来の浄土を欣求する程度に、已むを得ず満足を求めて居た人々までが、見るもの聞くものに就いて、一層の不平不足を感ずる様になって来るのであります。
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