融和促進

喜田貞吉氏述

三、差別さべつされるものの悲哀ひあい

世間多数せけんたすう人々ひとびとは、自分じぶんではそうわることおこなってつもりでもなく、ただなんとなしに多年たねん習慣しゅうかんとらえられて、各自めいめい一部いちぶ人々ひとびと差別さべつしてるのであります。しかして結果けっか差別さべつされるものこうむ有形無形ゆうけいむけい損害そんがいは、自身じしん苦痛くつう体験たいけんしたものでなければ、到底とうてい容易よういに、これ想像そうぞうすることも出来できないほどのものであることなどにいては、ゆめにもかんがえてないのであります。

元来がんらい差別さべつされるということは、どんな場合ばあいにもけっして愉快ゆかいなものではありません。友達同志ともだちどうし三人さんにんみちいて、二人ふたり面白おもしろそうにはなしをして、たまたまほか一人ひとりものにせられたなら、そこにすこしもへだてのない場合ばあいにでも、その一人ひとり非常ひじょう不愉快ふゆかいかんずるでありましょう。いわん公然こうぜんそれとくちにこそさね、こころなかでは、エタよ、特殊部落とくしゅぶらくよと、軽蔑けいべつしながら、のすべての人々ひとびと一般社会いっぱんしゃかいから仲間外なかまはずしにしたとあっては、差別さべつされるものかんずる不愉快ふゆかいは、はたしてどんなでありましょう。そこで自然しぜんうたがいもっ世間せけんことともなります。事実じじつそうでない場合ばあいにまでも、なに自分じぶんのことをうわさしてるのではないかと、わすようになります。したがって世間せけんていやなおもいをするよりも、やはり窮屈きゅうくつながらも、もとの気楽きらく部落内ぶらくないらすようになるのであります。実際じっさい差別待遇さべつたいぐうふかなやみをかんじて人々ひとびとは、おな境遇きょうぐう人々同志ひとびとどうしで、のケチのついた部落内ぶらくない団結だんけつかとうしてこそ、はじめてよく世間せけん軽蔑けいべつや、差別待遇さべつたいぐうたいして、自分等じぶんらまもってこと出来できるのであります。其中そのなかものが、ひとり部落ぶらくからはなれて、ほか適当てきとう住所じゅうしょもとめようとしたからとて、どこにこれ歓迎かんげいしてれてくれるところがありましょう。どこに安心あんしんしてくらけるところがありましょう。営業上えいぎょうじょう便宜べんぎから、適当てきとう場所ばしょ借家しゃくやもとめようとしても、けっしてよろこんでこれおうじてくれるものはありますまい。しからば土地とちって、みずかこれ建築けんちくをしようとしましても、ほとん土地とちってくれるものすらないというのが、今日こんにちまでの世間せけん実際じっさいであります。またよしや都合つごうよく素性すじょうくらまして、一旦いったん部落外ぶらくがい適当てきとう住処じゅうしょもとたとしましても、しそれが所謂いわゆる部落民ぶらくみんであるとれたかぎり、となりひとはすぐ交際こうさいをしてくれなくなります。子供こどもそとれば、となり子供こどもっこんでしまう。妻女さいじょ仲間なかまくわわれば、となり妻女さいじょはなしをやめてしまう。それでてどうしてそこに気楽きらくんでることが出来できましょう。大抵たいていもの辛抱しんぼうしかねて、もとの古巣ふるすもどってるのであります。しかもなおよくこれしのんで、頑強がんきょう営業えいぎょう継続けいぞくするとする。それが先祖以来せんぞいらいれた営業えいぎょうでなかったならば、ほとん顧客こきゃくこと出来できないのです。ここにいたっては事実上じじつじょう住居じゅうきょ営業えいぎょうとの自由じゆううばわれたとってもよい。ひとり精神上せいしんじょう打撃だげきだいなるばかりでなく、物質上ぶっしつじょうにもまた非常ひじょう損害そんがいこうむらされてるのです。所謂いわゆる部落民ぶらくみん相変あいかわらず窮屈きゅうくつな、ケチのついた、もとの部落内ぶらくないにのみかじりついて、かぎられた職業しょくぎょうにのみ生活せいかつせねばならぬのは、実際じっさいむをないではありませんか。しか人口じんこうかぎりなくえてます。かぎりなくえて人口じんこうを、かぎられた部落内ぶらくない収容しゅうようして、どうして密集部落みっしゅうぶらくとなり、細民部落さいみんぶらくとならざることが出来できましょう。

ここにおいてかなに仕事しごとでもしたいという人々ひとびとは、あつ仮面めんかぶって世間せけんまぎます。そしてはじめてきな住処じゅうしょを求め、きな営業えいぎょう従事じゅうじすること出来できるのであります。しかしながら是等これら人々ひとびとが、その素性すじょう秘密ひみつたもとうとする苦心くしん程度ていどは、とてほかから想像そうぞう出来できほどのひどいものなのです。みち偶然ひょっかり顔見知かおみしりのひといはせぬか、雑談はなしついでにもこまった問題もんだいれはせぬかと、つね戦々競々びくびくとして、ても、めても、すこしもこころやすまるひまはありません。親戚故旧しんせきこきゅう書信てがみりをするにしても、懇意こんい友人ゆうじん訪問ほうもんするにしても、つね犯罪者はんざいしゃ警官けいかんしのぶよりも、より以上いじょう苦心くしんがいるのです。そこで大抵たいていひとは、ため神経衰弱しんけいすいじゃくになってしまう。あるいなにかの拍子ひょうしで、素性すじょう暴露あらわれて、折角せっかくきずげた営業えいぎょう基礎もといをも、むなしくてねばならぬことになるのです。なんたる悲惨ひさんことでしょう。

また部落ぶらく子供こども教育きょういくけるとする。さいわいにそれが、大部落だいぶらくであって、部落内ぶらくない独立どくりつ小学校しょうがっこうがある場合ばあいならば、無邪気むじゃき子供こどもなんんにもらずに、のんびりとこれまなぶことが出来できますが、一般民いっぱんみん子供こどもあいだまじって、教育きょういくせられる場合ばあいには、子供心こどもごころにも自然しぜん肩身狭かたみせまかんじて、いじけてる、なかには父兄ふけい使嗾しぞくによって、かえってさかんに自尊心じそんしんたかぶらすものもあるやにきますが、しか裏面うらおいて、一層いっそうどくこころそこのあることを、かんがえねばなりません。しかしながら、ともかくも今日こんにちでは、普通教育ふつうきょういくにはそうひどい差別さべつもなくなりましたが、さらすすんで中等学校ちゅうとうがっこう入学にゅうがくし、専門学校以上せんもんがっこういじょう学校がっこうまなぶとなりますと、境遇きょうぐうおなじにする仲間なかますくないのと、生徒自身せいとじしんにも世間せけん事情じじょうがだんだんあきらかになってるのとで、かんずる苦痛くつう一層大いっそうおおきなものとなります。したがってこれたいしては、彼等かれら非常ひじょう決心けっしんと、努力どりょくとをようすることとなるのでありますが、しかもよくこれえて、めでたくぎょうえること出来できたとしまして、それが部落民ぶらくみんであるとられた以上いじょう世間せけん人々ひとびとほとんこれ相当そうとうする職務しょくむあたえようとはいたしません。昨日きのうまでつくえならべて勉強べんきょうした学友がくゆう就職しゅうしょく傍観ぼうかんして、むなしくうらみ、自己おのれのろわねばならぬのです。なんたる悲惨ひさんことでしょう。

うはうものの、もとより地方ちほうによって、差別的観念さべつてきかんねんうすいのいちじるしい相違そういはあります。関西地方かんさいちほうがいしてく、関東地方かんとうちほうはそうひどくなく、奥羽おうういたっては一層いっそう差別さべつすくなくなってます。関西地方かんさいちほう実際じっさい見慣みなれた私共わたくしどもからますれば、関東奥羽等かんとうおううとうおいては、ほとん表面うわべには差別さべつがなくなったとってもよいくらいかんぜられるのです。しかしながら是等これら地方ちほうおいても、勿論もちろん普通ふつうには家庭的かていてき交際こうさいおこなわれません。通婚つうこんごときも特別とくべつなる場合ばあいほかは、ほとん一般的いっぱんてきこばまれてます。つまりは、労働ろうどう一緒いっしょにやってる、宴会えんかいにもせきならべてる、青年団せいねんだん一緒いっしょ組織そしきしてくらい程度ていどことで、それでどうして全然ぜんぜん差別さべつ撤廃てっぱいされたとえましょう。彼等かれらかんずる心中しんちゅう不満足ふまんぞくは、相変あいかわらずおおきなものなのです。ここにおいてか所謂いわゆる水平運動すいへいうんどうなみ比較的ひかくてき差別さべつすくな関東地方かんとうちほうにまでも、所謂いわゆる徹底的糾弾てっていてききゅうだんうずかせて、ため世良田事件せらだじけんのような大破裂だいはれつおこすにもいたったのです。いわんさら数等すうとう差別的観念さべつてきかんねんのひどい関西地方かんさいちほうおいて、差別さべつされるものこうむ苦痛くつうがどんなにおおきなものであるか、結果けっかがどんなにおおきなものとなるべきかにいては、一般世人いっぱんせじんふかかんがえなければなりません。


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