融和資料第一輯 融和促進 (喜田貞吉 著)

[表紙]


表紙
目次
前書き [現代表記テキスト版]
01 一、改善と解放 [現代表記テキスト版]
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03
04
05 二、解放の要求と其の結果 [現代表記テキスト版]
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10 三、差別されるものゝ悲哀 [現代表記テキスト版]
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16 四、無意識の壓迫
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20 五、部落問題に對する私の體驗
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29 六、所謂特殊部落とは何ぞや
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37 七、所謂ヱタの特に嫌はれた理由
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44 八、所謂水平の眞意義
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50 九、お互の諒解と眞の融和
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61 十、被差別者自覺自重の必要
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67 十一、相親しむことの必要
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71 十二、素性に關する理解の必要
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76 奥付


この資料について

 大正十五(1926)年に発行された、いわゆる被差別部落問題を扱った資料です。著者は、古代史の研究家としても知られている喜田貞吉(明治四[1871]〜昭和十四[1939]年)です。著者の没後五十年を経過し著作権が切れているため、本サイトで公開します。原本のスキャン画像は全頁公開しており、それを直接読んでいただくのが理想ではありますが、読者の便宜を図って略字略かなに改めたテキストファイル版も少しずつ作っていきます。

 幾つか注意点を書いておきます。まず、被差別部落がどのように起こったのかのくだりについては、著者自身の説が書かれています。これに関しては今なおいろいろな説があり、この資料の説明が絶対正しいかどうかはわかりません。

 また、「所謂(いわゆる)特殊部落」という言葉が何度も出てきますが、当時、今で言う被差別部落は“特殊部落”という行政用語(現在は使われない)で呼ばれていました。「特殊」という呼び方は、被差別部落を特別視し、一般部落と何か違うものというニュアンスが感じられる表現である、という認識が当時からあったと思われます。著者がわざわざ「所謂(いわゆる)」を付けて和らげているのは、そのためでしょう。著者のこの意図を汲みつつ、読んでいただければ幸いです。また、「落伍者」という言葉も出てきますが、これはいわゆる経済的に落ちぶれてしまった人、つまり飢饉や災害等で生活に困窮し、生活水準が後れてしまった人々という意味で使われているので、誤解しないように。前後の文脈を読めば必ずわかりますが、著者はこの言葉を人間的に落ちぶれてしまった者などという意味で使う失礼なことするはずがありません。

 もちろん、正字正かなですが、振り仮名付きで、文章も易しいので、昔の資料にしては読みやすいでしょう。当時の状況がよくわかる貴重な資料です。見せかけだけの差別解消で終わることなく、真の意味で差別を無くすにはどうすればよいのか、今の私たちにとってさえ啓発的な資料です。