編集後記―過去ログ
2000-01-17
「2000年問題」のデマについての私の一言コメント
ほらね、去年私がさんざん言ってたように、電気もガスも水道も止まらなかったし、命にかかわる問題はほとんどなかったでしょう?
2000-02-21
国旗・国歌強制化の暗黒時代
今では、学校教職員が国旗掲揚や国歌斉唱を拒否するとクビになることもあるらしい。
このような、個人の信条に対する不寛容の傾向を私は憂えている。
もっとも、他人が揚げた日の丸を勝手に引きずり降ろして燃やしたりとか、国歌斉唱の時にアジっぽい口調で妨害したりとか、こういうのもやはり他人の信条に土足で踏みいるようなものだし、もしこういう人だとしたら、解雇されてしまってもしょうがないかもしれない。
しかし、他人の妨害をするでもなし、国歌を歌わないよう他人を煽動するでもなし、しかし個人的信条ゆえ静かに黙って歌わない。
こういう人を、まるで踏み絵だか赤狩りのごとく追放していくような時代が来ているのなら、日本はもう暗黒時代に足を一歩踏み入れてしまっているのかもしれない。
反カルトというカルト
オウム真理教信者の子供の通学に反対する運動が一部地域であるらしいが、あきれたものである。
危険なテロ集団だからと施設誘致を反対する運動だったら、まだわかる。
私も家の近くにオウムの施設ができたなら、いい気分でないだろう。
実際、半分私の庭と化している秋葉原電気街からオウムショップが撤退した時は、あの雑居ビルから看板がまるっきり消えているのを見て、清々しい気持ちになったほどである。
しかし子供の通学反対となると行き過ぎだろう。
子供に罪はない。
それに、子供がシャバに出て普通の他の子供らと接する時間とは、イコール、その子がテロ組織の悪影響から逃れている時間でもあるのに。
こういう点でオウムの子供の福祉を気遣ってやり、機会あれば社会復帰の機会という花を咲かせるかもしれない種を蒔くチャンスを、行き過ぎた反対運動でみすみす失ってしまっているのではなかろうか。
2000-02-22
思ひ出は、かをりと共に蘇る
レーザプリンタの仄かなオゾン臭に、昔に見し8ミリ映寫機の、フヰルム現像液とオゾンの混りたる、生温かなかのかをり、ふと思ひ出す。
今日は何の日
ニャンニャンニャンで猫の日だそうな。
2000-02-22
もうちょっとで桜草の鉢を枯らすところだった……
水浴びて 歓喜たたえん 鉢の花
あっ、季語がない……
水浴びて 歓喜たたえん 桜草
2000-02-27
民主主義の欠点
民主主義の定義
民主主義とは、大衆をうまく煽動した者がボスとなる政治体制である。
例
学級会。
2000-03-02
歴史の保存
深夜に久しぶりにNHKテレビを見てみたら、懐かしいテーマ曲が流れてきた。
私がまだ小学校に上がるか上がらないかの頃よく見ていた「新日本紀行」のテーマである。
話によると、当時のオリジナルのテープは劣化が激しく、今回の再放送の際にコンピュータ技術で色のくすみや傷などを一コマ一コマ修正したのだという。
高い金かけてそこまですることも……と思っている人も多いかもしれないが、しかしこの、昔のフィルムとは思えぬほどの、澄み切って鮮やかな映像には、感嘆のため息をつかざるを得なかった。
確かに、傷だらけで白黒や、くすんでぼやけた天然色のフィルムに、長い年月を経て熟成された歴史を味わうのもよいだろう(サウンドにしても、私はあのスクラッチノイズだらけのSPレコードが好きでもあるし)。
しかし、この鮮やかに再現された当時のフィルムは、まさにその時代の新鮮な真空パックが、その新鮮さをみじんも失わないまま復活したという感じで、まさに感動の二字であった。
ところで、日本人は歴史の保存意識に関して言うならば、昔から少し欠けているのではなかろうかと思ってしまうこともある。
例えば昔、江戸時代の美術工芸品は二束三文でどんどん外国へ流出してしまい、かえって外国のコレクターが大切に保存してくれたくらいだそうである。
この点、テレビの「なんでも鑑定団」は、(お宝ブームが加熱し過ぎてもまた金銭欲を煽るようで困ったもんだが)昔に作られたものの歴史的、文化的価値を、やや俗っぽく誰にでもわかる円という単位で計ることにより、これまで「小さな歴史遺産」をすぐ捨ててしまいがちだった日本人の意識改革を促しつつあるように思う。
と考えるのは考えすぎかなあ。
2000-03-13
シャア専用
昭和50年生まれのくせに「シャア専用」の意味が今になってやっとわかった記念に一枚。
赤くて3倍パワーのある、シャア専用電気ストーブ。
解説
「シャア専用何々」というジョークを時々見ることがあるが、残念ながら「機動戦士ガンダム」という漫画を見たことのない者にとっては意味不明の言葉以外の何物でもない。
私もそうだった。
私は昭和50年生まれでモロにガンダム世代なのに。
周りの学友はガンダムを見たりガンプラ(ガンダムのプラモデル)を作ったりしていたにもかかわらず、私だけは家でガンダムを見せてくれなかったしガンプラも一つも持っていなかったゆえである。
しかし、「シャア専用」の意味が気になって仕方ない上に、このままではガンダムおたくどころか同年代の一般人にさえ遅れを取ってしまっている。
そこで、「シャア専用」の意味を調べてみることにした。
以下、ガンダム専門用語を極力排してなるたけ平易に説明した内容である。
「機動戦士ガンダム」とは、人類の一部が宇宙ステーションに移住した未来を描いたSF漫画である。
そして、ある宇宙ステーションが「ジオン公国」を名乗り、地球連邦政府(連邦)からの独立戦争を始めた。
ジオン軍は緑色の保護色をした最強ロボット「ザク」を導入し、連邦軍は正規の兵隊を次々と失って苦戦を強いられる。
しかし連邦軍には切り札である最強ロボット「ガンダム」があった。
内気な機械好き少年アムロは、ひょんなことからこのガンダムに乗り込んでしまい、アムロはロボットの操縦には素人であったにもかかわらず、ガンダムの性能まかせに、あれほど強かったザクをいとも簡単に倒してしまう。
このことをきっかけに、アムロはにわかガンダムパイロットとなって、戦力の著しく欠けていた連邦軍に加わって戦うことになる。
そのニュースに畏れを抱いたのは、ジオン軍の最強兵士で「赤い彗星」の異名をもとるシャアだった。
彼は、特別仕様の、赤くて飛行速度も三倍の性能を誇る最強のザク(シャア専用ザク)を操り、ガンダムに戦いを挑む……
つまり、「シャア専用何々」という言葉は、「通常と違って赤い特別仕様」とか、またはただ単に「赤い」という意味で使われるようである。
例えば「彼は(フェアレディ)Zを手放してシャア専用(の赤い)フェラーリに乗り換えたらしい」といった具合に。
それが特に「通常の三倍何々がある」「角がある」(シャア専用ザクは通常のザクと違い角がある)場合は、「シャア専用」度が高まるらしい。
なお、電気ストーブの話に戻ると、この写真のように前面にハニカムメッシュのあるこの手の電気ストーブは、通常の電気ストーブや電気ファンヒーターより何倍も暖かいので、もし電気ストーブを買うなら、少々高いけどこれがおすすめ。
しかし電気代はかなり節約できるのですぐ元は取れる。
とは言ってももう春は近づいているけれども……
2000-03-15
あゝ私はどうして かやうに儚きものばかり好きに成つちまうんだらう
私は日常使う筆記用具ではボールペンより万年筆を愛用している。
と言っても、五桁か六桁くらいの値段の付く舶来万年筆は使わない。
三桁くらいの(七〜八百円)値段の事務用万年筆のように庶民的なものばかり、私の持っている一番高いのでも三千円である。
愛用のメーカーはというと、インクの詰まりや漏れが比較的少なくて、ボールペン以上に安定して使えるので、私はプラチナ万年筆を愛用している。
つい二、三年前までは文房具屋はもちろんのこと、ダイエーやジャスコのような大きめのスーパーとか、ホームセンターの文房具売場には、ちゃんと万年筆のインクカートリッジがあった。
シェアNo.1のパイロットと(昔は)No.2のプラチナ、そしてパーカー、場合によってはセーラーとか他のメーカーのも置いてあるものだった。
最近、万年筆のインクを切らしてしまったので、ホームセンターの文房具コーナーを探してみたのだが、全くない!
ホントに昔はどの店の文房具コーナーでも必ず置いてあったプラチナのカートリッジ、いやパイロットのですら、きれいさっぱり姿を消しているのだった。
万年筆人口の少なくなってしまったこのご時世、致し方ないのかもしれないけれど、とうとう万年筆のカートリッジも「扱っている店を探して買いだめ」しなくてはいけない時代になってしまったのだろうか。
それに、昔はあれほど文房具屋のガラス箱の中でよく見かけた、プラチナ万年筆も、今ではほとんどの店ですっかり姿を消してしまい、パイロットとか、DCブランドのOEM万年筆ばかりが幅を利かせてしまっている。
プラチナ万年筆が消滅してしまったらどうしよう、カートリッジを買いだめしておかなくちゃあ、いけないかしらと、ちょっと心配である。
2000-05-03
七五調の呪縛
雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る ――小林一茶。
NHKでは、おじゃる丸(*1)やハッチポッチステーション(*2)の前に「ひとりでできるもん!」という子供向け料理番組をやっている。
この番組で使われている、料理を作る歌だとかいろんな歌があるけど、あまりにも曲調がワンパターンだと思うのは私だけだろうか。
というより、曲に似合わずどことなく古い感じ、教科書的なまじめくさった作りの歌という雰囲気があるのである。
これになじめなくて、私はこの番組をそれほど見ていなかった。
十年近く前に初代まいちゃんが出ていた頃からそう思っていたのだが、ようやくその謎が一部解けた。七五調の歌ばかりなのである。
もっとも、理由はそれだけでないだろうが、これは演歌など他のジャンルにも言えることだと思う。
七五調は日本語の詩のリズムを大きく引き出す反面、ともするとマンネリに陥りやすいのだろうか。
時には七五調の呪縛にとらわれないことも必要なのかもしれない。
(*1)おじゃる丸……平安貴族の子供が主人公の漫画。
(*2)ハッチポッチステーション……グッチ祐三出演。表向きは子供向け人形劇だが、ホントはオヤジギャグや昭和の歌謡曲や洋楽に精通してないとわからないネタのかなり多い大人向け番組。
2000-05-19
気狂いに刃物
ネオむぎ茶によるバスジャック事件を聞いて、この言葉を連想したのは私だけではあるまい。全く危ない世の中になったものだ。
2000-05-25
「現実と架空を識別できない」がわからない
私はまだ4,5歳の頃からサンタクロースなど信じてなかった。サンタクロースなどというのは本当はいないのだと、ちゃんと知っていた。
テレビはアンテナから絵が入ってくるらしいとは薄々わかっていた。しかし、どのように電波に乗って画像が送られてくるのか当時はわからなかったから、もしかしたらブラウン管のガラスを破ればノッポさんやゴン太くんに会えるのかもしれないと思ってた。それでも、番組の前後のスタッフロールを読んで、ゴン太くんの中には人間が入っていることをちゃんと知っていたし、人形劇も「にんぎょうそうさ 誰々」と書いてあったし棒も丸見えだったから、下から棒で操っていることは既に知っていた。
その後、テレビは8ミリ映画と同じ様な原理だと気付くようになった。8ミリ映画のフィルムは各々のコマは止まっているけど、映写機にかけると、コマを目に見えない早さで送りながら幕に映すから、まるで動いているように見える。しかし、どのように電波に乗って画像が送られてくるのか当時はわからなかったから、もしかしたら自分の知らない時にテレビの中のフィルムを交換する「交換屋さん」が来て、時々フィルムを交換しに来るのかもしれないと思っていた。それでも、テレビに出てくるカータンやガチャピンの中には人間が入っていることも、ちゃんと知っていた。
叔母のやっていたアーチェリーの矢に当たると、矢が体に刺さって死んでしまうものと思っていたから、アーチェリーは少し怖かった。それでも、ウルトラマンが怪獣を倒すのも、時代劇でサムライが人を斬るのも、ただの作り物の劇で、死んだふりをしてるのだと知っていた。
小学1年生の国語の時間、いたずら好きな風の妖精ピューンが自分の前に現れたというお話を作りなさい、という授業があった。しかし私は神様は信じても妖精は信じてなかったから、ケッ、そんな妖精など本当にいるもんか、と内心そのお話を馬鹿にしていた。存在を信じてもいないようなものを作文に書くなんてウソを書くみたいで嫌だったけど、それでもどうにか書くことは書いたように覚えている。
こんなことを書くと、「あなたって、何て夢のない子供だったの、可哀相に」と言われてしまうかもしれない。しかし、これが「現実と架空を識別できる」の意味なのである。事件が起こるたびに「現実と架空を識別できないのは怖いことだ」などと決まり切ったコメントをのたまうマスコミには、
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`) < オマエモナー
( ) \_______________
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(__)_)
と言ってやりたい。なぜって、そんなことを言ってるはずのテレビが、クリスマスシーズンともなると、子供達に嘘を付いてまでサンタクロースという架空を現実と混同させようと躍起になっているのである。私には、これはどうしても矛盾しているとしか思えない。
大体、架空の作り話をまさに現実っぽく見せて、読者や観客をその世界へ引き込み魅了し共感を呼び涙を誘う。そんな作品こそ、上手な小説や演劇と呼ばれ、また作品の使命とも言えるのではなかろうか。
結局、「現実と架空を識別できない」なんて言葉は、ほとんどの場合、ある作品の世界を自分が理解できないことによる違和感や言い訳に過ぎないのだろう。私はそう思う。
さて、私はメルヘンの世界が虚構のものとは物心付いた時から知ってはいたけれど、それでも舞台裏のその「お約束」を楽しみながらも、大抵は十分楽しんでいたことを最後に付け加えておく。本当はないけど、そんな世界があったらいいな、私は幼年時代からずっとそんな楽しみ方であった。
2000-05-25
略字体+旧字体
学生時代、黒板で略字を使っていた教官が結構いた。
「擦力」の「」だとか、
「」「」とか。
一方、教官によっては、略字体を使う一方で一部旧字体も使ってた。
回転の「回」の字の、口の中は口ではなくて「ハシゴ」だったし、「従」も「從」、「頼」も頁の部分を刀貝と書いていた。
時々学生に指摘されていたけど、一旦は直しても、結局自分のポリシーは変えることはなかったと思う。
当初私は新字体に直して板書を取っていたけれど、途中で原文尊重主義(?)に鞍替えした。いつの間にか旧字体に慣れてしまって、特に前述の三つは私にとって旧字体が当たり前になってしまったのを思い出す。今でも特に「回」「従」「頼」などはついつい旧字体で書いてしまうし、新字体が何か頼りなげに見えてしまう。
2000-06-16
(1999-08-29に書いた「右翼との遭遇」に引き続き……)
左翼との遭遇
6/5のこと、JRお茶の水駅の前に、青いヘルメットを付けた数人の集団がいた。
近づいてよく見てみると、そのヘルメットには青地に白い色で「全学連」の文字、後ろにはあのゲバ書体の大きな看板。
彼らには悪いが、まだいたの!と思ってしまった。
署名をすすめられたので振り切って逃げてきたが、彼らの青いヘルメットが擦り傷だらけだったのが妙に印象に残った夕方の出来事だった。
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