編集後記―過去ログ


2000-07-02

環境を破壊する似非エコロジーのお話

 近所のディスカウントストア(ドン・キホーテ)で麻混の甚平が三千円也。家族にジジ臭いと白眼視されないかと気にしつつも、やっぱり買ってしまった。早速熱い夏がやって来たが快適そのものである。
 去年だったか一昨年だったかは同じ店で浴衣も売っていて、今でも夏のパジャマ代わりに愛用しているのだが、その時はあまりいい顔されなかった。
 ゆくゆくは、フォーマルな和服、例えば袴とか落語家みたいな着物に羽織とかにも挑戦してみたいけれど、何しろ高いのと、着る機会があまりにも少な過ぎるのが問題である。
 しかし、伝統的な和服は高温多湿の日本で長年着られてきたこともあって、夏を乗り切るには優れているように思う。
 まあ和服がビジネスシーンには無理としても、しかし日本の夏のビジネスマンの服装は、まさに欧米の猿真似もいいところだと思うのは私だけだろうか。あの熱い熱い炎天下を、背広の上下とも着て、ネクタイもキリリと締めて、湿度の低い欧米ならまだしも、湿度の高い日本でこんな服装させるなど、まさに気狂(きちが)い沙汰である。
 夏は少なくとも上着の上くらい無しにしてくれ、と思っているビジネスマンは多いのではないだろうか。
 いやそれはみんな十分承知しているのだろうけれど、しかし仕事に差し支えるからと、みんな仕方なくあんな暑苦しい服装をさせられているのである。そして、そんなビジネスマンのために会社内のエアコンはフル回転、服装の比較的自由な女子社員は冷えて冷えて困る、と、こんな具合である。
 「うちの会社はリサイクルしてます」「地球環境を守ってます」なんて自己満足(*)してる前に、これ、どうにかならないのだろうか。
 牛乳パックのリサイクルやケナフを植えるなんて企業アピールをする前に、和服推進……が無理でもせめて背広の上着なしOKで、エアコンの使い過ぎを抑えれば、男性社員みんな快適、電気代も節約ででんこちゃん(*)もニコニコ。いいじゃないですか。

(*) 例えば、古紙の再生は漂白に使った汚染された排水が出るし、牛乳パックのリサイクルをはじめ、元々の原材料から作るより電気を喰う本末転倒なリサイクルも多いらしい。ハイブリッドカーは現状では電池の寿命が短く、定期的に交換しなければならないことは意外と知られていない。非木材紙のケナフも結構無駄が多い上に加工の手間が掛かるという(同じ非木材紙なら、和紙原料の(こうぞ)三椏(みつまた)を植えたほうがケナフよりよっぽど紙を作りやすいし、伝統技術の教育にもなって一挙両得だと思うのだが)。
 子供だましなリサイクルをするよりは、使う資源を倹約する工夫をすべきである。広告の裏やコピーの裏紙をメモ用紙に使うのは、身近なよい例である。しかし、(あくまでも例えだが)部課対抗で裏紙集め競争をして、優勝したいがために無駄なコピーをわざと増やし、「みなさんの協力で、裏紙の箱にこんなにたくさん紙が集まりました。環境保護への協力ありがとうございます。」などとするのは本当のエコロジーと言えるだろうか。この例えに似た「似非エコロジー」は非常に多い。学校や自治体のリサイクル運動に協力しようと、普段全然飲まない牛乳を無理して買って飲んでなんて、心当たりのある人はいませんか?

(*) でんこちゃん……節電を呼びかける東京電力のCMキャラクター。関東ローカルなネタでごめんなさい。

声が出るインターネット?

 最近CMで流れているが、この宣伝文句につられたパソコンに疎いオジサンたちも、インターネットは結構混雑するもので、音声通信などまるで使い物にならないことが多いことにやがて気付くようになるだろう。かわいそうに。
 いや、それを打破できるのであれば、まさにすごいプロバイダであるのだが(一応フォロー)。

2000-08-29

何故に仔牛の誕生は涙を誘ふものなのか

 牛の出産は難産が多いと聞く。多くは、細くきゃしゃな母牛に、どっしり大型の父牛の種附けをするものである。しかも母牛に滋養の良い餌ばかりあたへてゐると、胎内の仔牛は大きく育ち過ぎてしまふ。
 仔牛が大き過ぎて出られないとなると、最後の手段をとらざるを得ないこともある。母牛の命か、仔牛の命かといふ時、可哀想だが仔牛に犧牲になって貰はざるを得ない。
 まづ、仔牛の頭が出たところで、首だけ切ってしまふ。その後、獣医は小さなナイフのやうなものを指に付けて、母牛の胎内で仔牛を解體し、少しづつ外に出さねばならぬ。近年は棒の先に鋸の付いた器具で、より母牛の胎内を傷つけぬよう安全に作業できるやうになったといふ。
 飼ひ主も、獣医も、頭ではわかってゐても、さぞやりきれぬ思ひだらう。どんなにか、つらいことだらう。

 それについて最近知り、衝撃を受けたのだが、やはりそれを考へると、成る程、そんな悲しい最期を遂げることなく無事に生れた仔牛の姿を見るならば、涙を浮べて驚喜せざるを得ないのだ、と納得した。

2000-09-11

「演歌」と呼ばないで

 時々、「懐メロ」のことを「演歌」と呼ぶ人がいる。
懐メロと演歌は違う!!(プンプン!)

 確かに、東海林太郎の歌みたいに、短調の悲哀のこもった暗い曲も多いのは事実だけど、そんな曲ばかりが懐メロではない。ジャズやシャンソンやタンゴも含め、西洋音楽の影響を受けた曲、リズミカルで明るい曲も確かに多いのである。
 藤山一郎は「酒は涙か溜息か」という短調の曲を歌ったかと思うと、明大マンドリンクラブの明るいマンドリン演奏に合わせて「丘を越えて」を歌った。
 岡晴夫「憧れのハワイ航路」は皆さんもご存じのことだろう、日本晴れの如く明るい曲である。しかし「啼くな小鳩よ」のような短調の曲も歌っているし、「上海の花売娘」では中国風を思わせるメロディ、「港シャンソン」ではシャンソン調といった具合である。
 美空ひばりは、確かに「リンゴ追分」のように民謡調や演歌調の曲も多いが、一方でブギやジャズも多く歌っていたりと、様々なジャンルを網羅している。

 「懐メロ」にはジャンルはない、ただ単に昔の流行歌という意味であり、当時流行した歌なら、演歌調のものから西洋音楽的・ジャズ的なものまで、何でもありなのだ。「演歌ってどれも同じに聞こえる」という声を聞くが、「懐メロ」についてはそんなことはないのである。

長調と短調

 江戸時代の日本は、曲といえば短調の悲哀のこもった曲ばかりであった。わらべうたが身近な例だろう。「♪ねんねんころりよ おころりよ」しかり、「♪ずいずいずっころばし ごまみそずい」しかり。
 さて、明治時代になると西洋音楽が日本に流入してきた。しかし、長調を中心とした西洋音楽が日本に深く根付くのには、かなり長い年月を必要とした。
 さて、その西洋音楽はどのような形をとって日本人に浸透し始めたのか。思いついたところを挙げるならば、
・教会の讃美歌
 有名な例では、「♪月なきみ空に きらめく光…」は「♪いつくしみ深き 友なるイェスは…」という讃美歌の替歌である。変な例ですまないが、あの「♪たんたんたぬきの…」の歌も元歌は讃美歌らしい。

・外国民謡
 日本の自然を歌った歌詞を新しく作って替歌されている例が多い。酒飲みの歌が「蛍の光」になるわ、ライ麦畑の中でキスしている恋人同士を歌った歌が「故郷の空」になるわ……。

・クラシック音楽
 これは言うまでもないだろう。

・文部省唱歌
 政府機関の作らせた歌に西洋的な長調の曲が多く、民間の作った歌に日本的な短調の曲が多いのは明治〜昭和初期の日本の特徴である。
 「春の小川」「我は海の子」などなど、長調の曲ばかり。

・軍歌
 これも文部省唱歌と同じ法則が当てはまり、軍など政府機関の作らせた軍歌や、戦争を扱った文部省唱歌は長調を中心とした西洋音階、民間の作った戦時歌謡(戦争映画の主題歌など)や兵隊の間で自然発生した兵隊ソングは短調や演歌的な日本音階というケースが多い。
前者の例:軍艦マーチ、抜刀隊(途中で短調から長調へ転調。フランス人ルルーの作曲)、広瀬中佐
後者の例:露営の歌(♪勝って来るぞと勇ましく)、麦と兵隊(♪徐州徐州と人馬は進む)、出征兵士を送る歌(♪…いざ征けつわもの日本男児)

・童謡
 これも案外西洋音階の曲が多いのではなかろうか。

・ジャズ、シャンソン等、西洋の流行音楽
 これについては前の項で取り上げたので割愛。

といったところだろう。
 なお、文部省唱歌や軍歌で西洋音楽が好まれた理由としては、恐らく日本音楽は俗っぽい下卑なものだとされていたのだろう。
 日本政府は学校を通して西洋音階の普及を図ったが、一般の流行歌としては日本音階が長く好まれてきたというわけである。
 しかし、ジャズやロックの流行により、日本の流行歌にも西洋音階が広く取り入れられるようになり、特にビートルズ時代以降、むしろそちらの方が優勢となっていった。

 簡単に日本の音楽の歴史を振り返ってみたが、さてこれで良いのだろうか。
 西洋音楽の普及は日本語の歌をより豊かなものとした。しかし、高木東六(*1)をはじめ一部の人が言うように、従来の伝統的な日本音階はヤボで泥くさい、陰々滅々としたものなのだろうか。いや私はそうは思わない。見方を変えるなら、心に染み入る素晴らしい曲も多いのだが、気付いていなかったり、文句を付けたくなったりするものかもしれない……。

(*1)作曲家。「水色のワルツ」「空の神兵」などで有名。

2000-09-12

関東にも東京弁でない方言がある

 父も母も方言が嫌いである。父はお国訛りを完全に直して関東にやってきたし、母は都会生まれで、今住んでいる千葉の方言を野卑なものだと見下している。
 ふと振り返ると私のお国言葉はNHK弁だった。方言のかけらも訛のかけらもない、NHKのアナウンサーみたいな日本語。田舎の学校に転校してきた東京の児童がしゃべるような、上品過ぎて周りから浮いてしまっている日本語。
 「ここんおっぽっちゃっちゃ、おいねっぺよー(ここに捨てちゃいけないでしょう)」なんて具合に方言でしゃべってたら「なんて下品な言葉」と母に怒られるのは目に見えていたから、私は家では勿論方言など使わなかった。学校でも優等生みたいなNHK弁を常に使い通して、自分が学校で浮いた存在だった原因の一つにそれがあったことにも気付かず、気が付くと私は、あんなに方言に囲まれていたのに、私の話し言葉の辞書からは、無意識のうちにも、頑なに方言が逐一排斥されて、現在に至っていた。
 しかし、千葉の方言を話すのに難儀する私も、聞く方はあまり問題なく、大部分は理解できる。小・中学時代に無意識のうちに頭に染み込んでいたのだろう。でも、方言に対して標準語でしか言葉を返せないなんて、さみしいものである。現在少しずつ秘密特訓中である。

千葉の方言に関するページ:
Tomiura SAZANAMI(Bosyu-Japanese Dictionaryのコーナーで、房州弁とそれに対応する日本語や英語を紹介。)
忘れちゃおいねえきみさらづの方言(木更津周辺地域の方言を収録)
南房総の方言(手前味噌ですが、ずっと前に書いたもの)

2000-09-18

「駐車場完備」の居酒屋?

駐車場の使用例
「セバスチャン、2時間くらい経ったら戻ってくるから、この駐車場で待ってて頂戴」
「はい、お嬢様」


 場所は千葉県袖ヶ浦市の、国道16号沿いの、ある居酒屋。
 こんなに堂々と書いてしまって良いのだろうか……
 まさか警察がこの店の前で取締りする勇気など持ち合わせてない、と知ってのこと。いや素晴らしい。


2000-10-28

「いじめは、いじめられる奴が悪い」

 つい3、4年前までは、こんな意見を聞く度に「それは違う」と激しく反論していた私だが、今では「それもそうだな」と、がらりと意見が変わってしまった。

 私も、平和と安全を貪る程満喫できる大人になった故に、弱者の視点を忘れつつあるのだろうか。弱者の味わう抑圧と恐怖、それを知りながら自分の今の力ではどうしようもなく、他人も助けてくれないもどかしさを忘れつつあるのだろうか。

 しかし世の中は弱肉強食のジャングルの掟であ(り、それを辛うじて個々の人間の理性や良心や愛情がブレーキをかけて成り立ってい)る。そう考えると、「いじめは、いじめられる奴が悪い」という考えも「いじめっ子に隙を見せるな、隙を見せたが負けだ」という警告ならば、これもまた真と言えよう。
 また、自分の我儘や甘えや悪事を正当に糾弾されたことに不満を持ち「いじめ」扱いして被害者ぶることも、よくよく考えると多いものである。恥ずかしながら私も幼い頃そのような経験があった。このような「いじめ」は自業自得である。否「いじめ」ではない。

 そのような意味で「いじめは、いじめられた奴が悪い」という言葉が使われることがあることには、私は年を重ねるにつれ納得がいくようになってきた。

 しかし、私はこの言葉を不用意に使うことは慎むだろう。“被害者”の主張が正しくて無実である場合も、“加害者”の意見が正論である場合もあり、いろいろなケースを十把一絡げにはできない。「いじめは、いじめられた奴悪い場合がある」というのが、より正確である。
 「お前のせいだろ、まずはテメエでどうにかしろ!」と、甘ったれた被害者にハッパをかけることも時に必要かもしれない。しかし、全く知らんぷりも解決策にはならない。加害者に自制を、被害者には一人で問題に立ち向かえるだけの、いじめ対策の知恵と力を教えることが是非とも必要である。

 正義を愛し悪を憎む心や、勤勉さの価値や、自制の大切さ、弱者へのいたわりなど、人として当然のことを、戦後の学校教育や家庭で教えてこなかったつけを、今になって私たちは払わされている。確かに人生は綺麗事ではない。しかしその綺麗事を教えられなかった人間は、本能のみにより生きて理性を持たぬ(けだもの)に堕ちるのみである。「人の生くるはパンのみに()る」訳がない。

2000-11-13

老人趣味(シニアチック)友之會 その2

〜大正琴篇、物好きもここまでくるとビョーキ?(笑)〜

 リサイクルショップで安い大正琴を見つけたのでついつい買ってしまった。
 私はおじいちゃんでもおばあちゃんでもない、まだ25歳のバリバリヤングマンのくせに……。
 もっとも、私は懐メロ好みだから弾きたいレパートリーは山ほどあるし、懐メロでなくたって似合う曲は結構見つかるはずとの信念のもと、「大正琴の脱・老人専用楽器」への道を模索してみようと思う。琴は西洋音楽にも意外と合う音色だし、大正琴も実はそうではないかとにらんでいる。琴の音色をガット弦のクラシックギターと例えるならば、大正琴はスチール弦のマンドリンといったところか。
 それに、大正琴は見るからに弾き方を覚えやすい楽器のように思う。単音楽器で、フレットはキーで押さえられるし、ピアノもバイエルの途中止まり、ギターも三日坊主という物臭な(?)私でも無理なく弾けそうな気がする。
 それにしても、「何か楽器弾ける?」と尋ねられて「大正琴を少々」なんて答えたら、どんな反応が返ってくるだろう。まさか若者が弾きそうにないという先入観のある楽器だけに、相手はさぞびっくりするだろう。それとも、びっくりを通り越して、引いてしまうだろうか。大正琴の名前すら聞いたことのない人も、あるいは多いかもしれない。
 今日は遅いから明日にでもゆっくり弾くとするか。あと、大正琴の弦とピックも買っておかなければ。

 そうそう、マンドリンといえば、今度の旗日に明大マンドリンクラブの演奏会が地元であるいうので、是非行ってみようと思っていたりする。私の父は懐メロがあまり好きでない割には、明大マンドリンのトレードマークというべき曲「丘を越えて」だけは、昔から好んでマンドリンで弾いていたのを思い出す。私の懐メロ好きは、これもきっかけだったのかもしれぬ。

2000-11-21

かわいそうな ぞう

〜「せんそうを やめてくれえ」の叫びは創作か?〜

 私が小学2年の時、土家 由岐雄 作、「かわいそうな ぞう」を国語の授業で習ったことは、今でも覚えている。
 上野動物園の動物たちは、子供たちの人気者だった。しかし、戦争の暗雲が次第に垂れ込めてくると、空襲で動物が逃げ出さぬよう、あらかじめ毒殺するよう命令が下される。なかなか死なず、最後まで残った象たち。しかし、最後には餓死して悲しい死を遂げる。

 戦争が招いた悲惨な死。しかし、この一文だけは、昔からどうもおかしい、と、心に引っかかったままである。
 どの 人も、ぞうに だきついた まま、
「せんそうを やめろ。」
「せんそうを やめて くれ。やめて くれえ。」
と、心の 中で さけびました。
 これは事実だろうか、それとも創作だろうか。
 当時の日本人のほとんどは、大東亜戦争は日本の正義の戦いだと信じて応援していたはずだし、「日本の兵隊さんたちが立派に戦って見事に戦争を終わらせてくれる」ことを期待していたはずである。
 仮に、作者が書くように、戦争の終わることを切望していたとしても、「やめて くれえ。」だなんて、まさか。せいぜい、「せんそうよ、はやく おわって くれえ。」あたりではなかろうか。いや、「せんそうよ、はやく おわって くれえ。」でさえ疑わしい。

 作者は動物園の飼育係を隠れ反戦思想家に仕立てて、彼らの台詞を使って何か訴えようとしているらしいが、どうもこの台詞は作り物っぽい気がして仕方ない。小学生の頃から薄々そう感じていた。
 もちろん真実はその飼育係のみぞ知ることであるが、私はこの台詞に疑いを抱いている。

2000-12-02

明治大学マンドリン倶楽部

 11/23に地元で明大マンドリン倶楽部の演奏会が開かれたので行って来た。
 ご存じの方も多いかと思うが、明大マンドリン倶楽部とは、大正12年にあの古賀政男が創設した、約80年もの歴史を持つオーケストラである。学生のオーケストラとはいっても、技術は昔からプロ並みであり、昭和6年に発売された、藤山一郎「丘を越えて」の、伴奏のマンドリン演奏は、有名過ぎるくらい有名である。
(ちなみに、明大マンドリン倶楽部のテーマソング的存在である「丘を越えて」であるが、元々は古賀政男がマンドリン合奏用に「ピクニック」という題名で作ったもので、後に歌詞を付けて藤山一郎が歌ったのだという。)
 扱うジャンルはクラシック、歌謡曲(懐メロから最近の曲まで)、童謡や民謡、シャンソン、ラテンなど、多岐に(わた)っている。いろいろなジャンルを広く浅く知っている人なら、とても楽しめるのではないかと思う。当日演奏された曲を具体的に挙げると、

第1部/古典音楽
明治大学校歌〜トリッチ・トラッチ・ポルカ(J.シュトラウス2世)〜タイスの瞑想曲〜歌劇「サムソンとデリラ」より「パッカナール」
第2部/思い出の詩あれこれ
丘を越えて〜花(喜納昌吉)〜夕焼け小焼け[みんなで歌おうコーナー]〜お祭りマンボ〜青春の詩メドレー(太陽がくれた季節、少年時代など)〜古賀メロジュークボックス(影を慕ひて、東京ラプソディー)〜津軽組曲より「夏」
第3部/Fantastic Harmony!!
夜明けのカーニバル〜カタリ・カタリ〜渚のアデリーヌ〜フランス映画音楽メドレー(太陽がいっぱい、パリの空の下、男と女、禁じられた遊び)〜闘牛士のマンボ〜オブラディ・オブラダ〜マンボNo.5〜勝手にシンドバッド〜エル・クンバンチェロ

 アレンジは原曲の雰囲気をあまり損なわずにうまくマンドリンの音色を活かしていて良いし、静かなバラード的な曲から、明るいノリノリの曲まで色々あって楽しめたと思う。演奏技術もプロ級で文句ない。
 司会者は、どう見ても司会に慣れてないな、という雰囲気の学生で、話し方もそれほど流暢とは言えなかったが、古くからの明大マンドリン倶楽部ファンは、これも演出だろうと思ったに違いない。ユーモラスでショートコント的な司会とか、ラテン音楽が流れるとステージ上でノリノリに踊ったり、客席まで降りていったり、まあとにかく、学芸会的ノリのユーモラスさも面白い。
 ただ一つ残念だったのが、客層がどうも四、五十代以降ばっかりで、ごくわずかにいた、家族で来たと思われる小学生や、明大のサクラ(昔からいるらしい、アンコールのサクラ)らしき学生?を除くと、若い年代層はほとんど見かけなかった。聞いた話によると、地元の明大生にも、コンサートが開かれることを知らない人がいたとのこと。
 音楽の世代(ジェネレーション)ギャップなのだろうか。時代の流れなのかもしれないが、ちょっとさみしい気もする。

参考リンク
 明治大学マンドリン倶楽部

クリスマスシーズンの憂鬱

 スーパーに行くたびに、
 もみの木〜フロスティ・ザ・スノーマン〜ジングル・ベル〜もろびとこぞりて〜赤鼻のトナカイ〜サンタが町にやってくる〜ウィ・ウィッシュ・ユー・ア・メリー・クリスマス〜ホワイト・クリスマス〜ウィンター・ワンダーランド〜きよしこの夜〜恋人たちのクリスマス〜クリスマス・イブ
の、ミーハーなナンバーばっかりエンドレスで延々と聞かされるのは、私にはたまらなく苦痛である。
 しかしごくまれに、12月24・25日でさえ演歌を流してるスーパーを見つけることもある。また、あのミーハーなクリスマスメドレーをさんざん掛けていた店も、クリスマスが終わると「春の海」の箏の演奏ばかりになる。そんなときホッとするのは、私だけだろうか。

2000-12-28

「誰々にハッパをかける」漢字でどう書く?

 恥ずかしながら、私は「葉っぱを掛ける」だと思ってましたが、「発破」が正しいようです。
 ダイナマイトで鉱山に発破をかける、の「発破」から転じていたとは。またまた一つおりこうになっちゃったものなぁ。(←小俣雅子みたいな言い方……)

戻る

Copyright (c) 2000 Kan-chan. All rights reserved.