2000/05/25
私はまだ4,5歳の頃からサンタクロースなど信じてなかった。サンタクロースなどというのは本当はいないのだと、ちゃんと知っていた。
テレビはアンテナから絵が入ってくるらしいとは薄々わかっていた。しかし、どのように電波に乗って画像が送られてくるのか当時はわからなかったから、もしかしたらブラウン管のガラスを破ればノッポさんやゴン太くんに会えるのかもしれないと思ってた。
それでも、番組の前後のスタッフロールを読んで、ゴン太くんの中には人間が入っていることをちゃんと知っていたし、人形劇も「にんぎょうそうさ 誰々」と書いてあったし棒も丸見えだったから、下から棒で操っていることは既に知っていた。
その後、テレビは8ミリ映画と同じ様な原理だと気付くようになった。8ミリ映画のフィルムは各々のコマは止まっているけど、映写機にかけると、コマを目に見えない早さで送りながら幕に映すから、まるで動いているように見える。
しかし、どのように電波に乗って画像が送られてくるのか当時はわからなかったから、もしかしたら自分の知らない時にテレビの中のフィルムを交換する「交換屋さん」が来て、時々フィルムを交換しに来るのかもしれないと思っていた。それでも、テレビに出てくるカータンやガチャピンの中には人間が入っていることも、ちゃんと知っていた。
叔母のやっていたアーチェリーの矢に当たると、矢が体に刺さって死んでしまうものと思っていたから、アーチェリーは少し怖かった。それでも、ウルトラマンが怪獣を倒すのも、時代劇でサムライが人を斬るのも、ただの作り物の劇で、死んだふりをしてるのだと知っていた。
小学1年生の国語の時間、いたずら好きな風の妖精ピューンが自分の前に現れたというお話を作りなさい、という授業があった。しかし私は神様は信じても妖精は信じてなかったから、ケッ、そんな妖精など本当にいるもんか、と内心そのお話を馬鹿にしていた。存在を信じてもいないようなものを作文に書くなんてウソを書くみたいで嫌だったけど、それでもどうにか書くことは書いたように覚えている。
こんなことを書くと、「あなたって、何て夢のない子供だったの、可哀相に」と言われてしまうかもしれない。
しかし、これが「現実と架空を識別できる」の意味なのである。事件が起こるたびに「現実と架空を識別できないのは怖いことだ」などと決まり切ったコメントをのたまうマスコミには、
(´∀`)<オマエモナー
と言ってやりたい。なぜって、そんなことを言ってるはずのテレビが、クリスマスシーズンともなると、子供達に嘘を付いてまでサンタクロースという架空を現実と混同させようと躍起になっているのである。私には、これはどうしても矛盾しているとしか思えない。
大体、架空の作り話をまさに現実っぽく見せて、読者や観客をその世界へ引き込み魅了し共感を呼び涙を誘う。そんな作品こそ、上手な小説や演劇と呼ばれ、また作品の使命とも言えるのではなかろうか。
結局、「現実と架空を識別できない」なんて言葉は、ほとんどの場合、ある作品の世界を自分が理解できないことによる違和感や言い訳に過ぎないのだろう。私はそう思う。
さて、私はメルヘンの世界が虚構のものとは物心付いた時から知ってはいたけれど、それでも舞台裏のその「お約束」を楽しみながらも、大抵は十分楽しんでいたことを最後に付け加えておく。本当はないけど、そんな世界があったらいいな、私は幼年時代からずっとそんな楽しみ方であった。
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