何故に仔牛の誕生は涙を誘ふものなのか

2000/08/29

牛の出産は難産が多いと聞く。多くは、細く華奢(キャシャ)な母牛に、どっしり大型の父牛の種附けをするものである。しかも母牛に滋養の良い餌ばかり與(アタ)へてゐると、胎内の仔牛は大きく育ち過ぎて仕舞ふ。

仔牛が大き過ぎて出られないとなると、最後の手段を執らざるを得ないこともある。母牛の命か、仔牛の命かといふ時、可哀想だが仔牛に犧牲になって貰はざるを得ない。

まづ、仔牛の頭が出たところで、首だけ切ってしまふ。その後、獣医は小さなナイフのやうなものを指に付けて、母牛の胎内で仔牛を解體し、少しづつ外に出さねばならぬ。近年は棒の先に鋸の付いた器具で、より母牛の胎内を傷つけぬよう安全に作業出來るやうになったといふ。

飼ひ主も、獣医も、頭ではわかってゐても、さぞやりきれぬ思ひだらう。どんなにか、つらいことだらう。

それについて最近知り、衝撃を受けたのだが、やはりそれを考へると、成る程、そんな悲しい最期を遂げることなく無事に生れた仔牛の姿を見るならば、涙を浮べて驚喜せざるを得ないのだ、と納得した。

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