正月こそ家族麻雀

2004/01/03

正月を家族と共に過ごすなら、こたつを囲んで麻雀をやるに限る。世の中、麻雀=ギャンブルだと決めつける傾向が一部にあるが、ゼニを賭けなくても将棋やトランプを十分楽しめるのと同じく、金を賭けない家族麻雀も楽しい娯楽たり得るというのが私の考えである。

でも、こんなことを言う私も、残念ながら私は実家にいた時分、家族麻雀などやったことがない。地元の方言は下品だから正しい共通語を話せよ、ロックは下品だから唱歌を歌えよ、ドリフは下品だからNHKを見よの雰囲気では、家族麻雀など夢のまた夢というものだ。

果して麻雀は子供の情操に良い影響を与え得るか否か。私はあえて肯定の意見を述べることとしよう。

初対面の人と麻雀を半荘やってみるだけでも、その人の性格が少し見えてくるとはよく言われることである。麻雀のゲーム進行には、プレイヤーの性格が非常によく反映される。ツモってきたかと思うが早くパッと牌を捨てる人もいれば、十秒以上考え込んでしまうのんびり屋もいる。自分のことばかりに気を取られて周囲の観察力が鈍いと、自分の役を作ることに集中するあまりに危険牌をうっかり捨てて上がられてしまう。いい役が出来かけている時に他人にリーチをかけられた時、時には振り込む危険を冒してでも冒険する人もいれば、引き際が肝腎と、役を崩して上がり放棄してでも絶対に安全牌しか捨てないという人もいる。おっちょこちょいな人はフリテンやチョンボをよくやらかす。うまく他人の力を借りる人は機会あらば哭(な)くし、逆に哭かないことの多い人もいる。得意な役も十人十色だ。初心者はとかく字牌を迷惑がるが、状況をうまく見極めてうまく使いこなせるようになると、麻雀がもっと面白くなってくる。

このように、「他の人をよく観察してその人の心を読み、自分がどう動けばいいか適切な判断を下すこと」「そして、その判断を、速く正確に行えること」「自分の引き際を知り、時には我慢することも覚えること」などを学ぶ適切な教材であると言えるのではないか。ついでに中国語の勉強もできるとくれば一石二鳥だ。さあ、今年の始まりも是非家族麻雀で楽しい冬休みを。

この年末、私は知り合いと麻雀をやったのだが、ほんの少々マイナスの成績で終わった。攻めよりも守り、役を崩してでも安全牌を捨てる無難さでほとんど振り込まずに済んだのは良いが、逆になかなか上がることもできず、誰かがツモ上がりするたびに点棒が減ってしまうという具合。結局他人と交替してしまった。ところがその後一回だけ他人のピンチヒッターをやった時に、いきなりリーチメンタンピンドラドラ、さっきまでの不調がまるで嘘の様に感じられた一瞬だった。麻雀を人生とするなら、無難な人生の中にも、時に思いがけない小さな幸せもあるということか。

(※耳にタコが出来るほど繰り返しますが、賭け麻雀は違法です。私は賭け麻雀はやらない方針ですし、お誘いがあってもお断りいたします。この記事で勧めているのは、飽くまでもノーレートの、純粋なゲームとしての麻雀ですので誤解無きよう。)

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