「知り合いから教わる知識はタダ」か(1/4)

2003/03/18

日本人の多くは、外人を見ると英語で話したがる習性がある。まあ私も英語が通じる相手なら英語で話すこともあるし、それ自体必ずしも悪いことではない。多くは気を利かせるつもりでのことだろう。

しかし、その外人を、あたかも「無料英語教室の先生」であるかのようにみなすとしたらどうだろう。確かに、自分の母国語を、それを知らない人に教えるというのは、外人にとってうれしい事かもしれない。しかし、自分の仕事や予定に差し支えるくらい頻繁に呼び出されてしまったり、わからない言葉があるたびに「教えてくれ、教えてくれ」と一日に五、六回も電話がかかってきたりしたら、教える側も嫌になってしまうだろう。それも、努力家や、飲み込みの早い人に教えるならともかく、中学一年程度の英語すら覚えようとせぬ人から「急ぎなんだ、英字新聞の記事をこちらで読み上げるから訳を教えてくれ、わからない単語はアルファベットで読む」などという電話が深夜にかかってきたら、ぶち切れるだろう。

私の言いたいのはこれである。今の日本において、パソコンの使える人間は、まるでこういう外人のような扱いを受けていることが往々にしてある。つまり、パソコンの使える知り合いは24時間対応の「無料パソコン教室の先生」にされてしまう危険が非常に高いのだ。

私もそうだが、パソコンの使える人間には、世話焼きの人や、頼まれたらなかなか嫌と言えない人間が多い。これ自体は問題ない。そして、時々は「無料パソコン教室の先生」になってやるのも構わない。問題なのは、その「無料パソコン教室の先生」を頼む側が、そのことによって相手の時間を奪ってしまっていることをきちんと認識しているか、である。

時間を奪うと言ったって、それもたまにチョットの程度なら、それくらいで目くじら立てる人間は少ないだろう。問題は、先の外人の例のように、極端なほど相手の好意に甘え過ぎることである。相手の仕事や予定に差し支えるほど頻繁だったり、相手の予定も顧みずに緊急の対応ばかり要求したりすることだ。また、パソコン操作を覚えようという意欲のある人に教えるのはたやすいことだが、それの無い人に教えるのは苦痛以外の何物でもない。つまり、同じ事を三度四度教わってもすぐ忘れてしまい、「またあいつに聞けばいいや」と言ってまたその「無料パソコン教室の先生」を呼び出すという人である。それだけならまだしも、自分の努力不足を棚に上げて「お前の教え方が悪い」と言われた日には、教えた側も泣きたくなるだろう。

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