ママ4ってなあに


誤解しないでね

 これは、小学4年生でママになってしまった?ある女の子の物語です。日本テレビ系で1992年に放映されたSFアニメで、題名は「ママは小学4年生」。

 ところで、なぜ小学4年生でママなのか? ご存じでない方は、ちょっと想像してみてください。「ホントに赤ちゃんを産んでしまった」だけしか思い付かないのは、はっきり言って、頭が固い証拠です(キッパリ!)。あるいは、年中エッチなことばかり考えてる証拠です。柔軟な発想の出来る人は、以下の様にいろんなパターンを考えてみるものです(なお、最後以外の全ては、私がこの作品の内容を知る前に実際に立てた予想です)。

  1. 父や母が不在の家で、弟か妹を育てなくちゃいけなくなった。(「赤ちゃ んと僕」に似たパターン)
  2. 親戚とか知人の赤ちゃんを育てる羽目になってしまった。
  3. 異次元の世界から来た赤ちゃんを育てることになってしまった。
  4. しゃれにならない話だけど、ホントに小4で赤ちゃんを産んでしまった。
  5. 実は、「ママ」という変わった名前の小4の女の子の物語なのだ。
  6. そうじゃなくて、息子か娘が、小学4年生の頃のママにタイムマシンで会いに行くという内容なのだ。("Back to the Future"的なパターン)

 さて、正解は……?


ものがたり

わたし、水木なつみ、小学4年生。
嵐の夜に突然現れた赤ちゃんは、
なんと!15年後の未来からタイムスリップしてきたあたしの赤ちゃん、
みらいちゃんだったの。
パパとママはロンドンに行っちゃって留守だし、
いそうろうのいづみおばさんは赤ちゃんが大っきらい。
あたしひとりでもう、た〜いへん。
でも決めたんだ。
みらいちゃんが無事に未来に帰れる日まで、あたしが育てる。
だって、あたしがみらいちゃんのママだもん。

(引用:「ママは小学4年生 This is Animation Special」/小学館発行)

 ……と、このようなわけだったのです。

 私は、その題名は新聞のテレビ欄で何度も見ていたものの、最初のうちはほとんど気に留めていませんでした。(とは言え、あとで気になって調べ始め、それがママ4を見るきっかけになったのですが)

 女の子は大抵ままごと遊びが好きなものです。その視点に立って見るなら、この「ママ」とは当然ながら、「ままごと遊びのお母さん」あるいは「お母さん役」となるのが自然な解釈です。実際私はそう思っていました。まさか、このタイトルを「小4で赤ちゃんを産んでしまった女の子の物語」だと誤解していた人の方が多かったなどとは、想像だにしていませんでした。

 でも、普通そうでしょう―小さな女の子が「わたしはママ」と言う時は、普通は「ママ役」という意味で言っているはずです。例えば、有名な「小公女」の中でセーラはロッティに、「わたしがあなたのママになるわ」と言っていますし、その章の最後は、「そして、その時からセーラは養母(an adopted mother)になったのでした」と締めくくられています。しかし、セーラがロッティを産んだわけでは決してありません。「ママは小学4年生」の「ママ」も、赤ちゃんを産んでないけれどママ役になったという意味で「ママ」なのです。

 話は変わって、この作品は音楽も優れています。特にエンディング・テーマ「この愛を未来へ」は、モーツァルトのピアノソナタ(K545)をベースにした大変面白いアレンジです。


この作品の見所

 これまでのいわゆる“子供向け”アニメで、母親となって赤ちゃんを育てることの苦労を描いたアニメは、果たしてあったでしょうか。
 共働き、ステップファミリー(継父/母や連れ子のいる家庭)、親子の断絶など、「家族とは何ぞや」というテーマを、道徳ぶらず、気取らずに、ごく自然に取り上げたアニメは、これまであったでしょうか。
 可愛い赤ちゃんの抱き人形で遊ぶ年齢の女の子もこのアニメを見たでしょうが、本物の赤ちゃんは寡黙で可愛い抱き人形とは違うということ―すぐ泣くし、周りは危険がいっぱいだし、四六時中目が離せない―そんな現実を包み隠さず小さな子供達の前に叩き付けた、そんなアニメが、かつてあったでしょうか。
 この点だけ見たとしても、これまでにない類い稀な作品と言えるでしょう。

 この作品には、いろいろな登場人物の「心の成長」が描かれています。まずは主人公の小学4年生、水木なつみ。両親と共に暮らしていた時には大変な甘えん坊だったと見えて、家を出て買い物に出かけたり、ましてや料理・洗濯・掃除を自分からやっている姿など想像もできなかったようですが、しかし、ひょんな事からママ役をやらざるを得なくなってからは、本当に変わりました。家事全般に加えて赤ちゃんの世話までてきぱきこなす。頭の中はみらいちゃんのことで一杯。友達と一緒に遊びたい年頃なのに、赤ん坊のお守りを優先して泣く泣く断る、という滅私奉公、自己犠牲が求められることは、私自身もかつて小規模ながら経験したこともあって、自分のことのようによくわかります。まるで「おしん」みたいに、もう涙が出るほどけなげな子です。

 赤ん坊が大嫌いな居候のいづみおばさんはというと、まるでみらいちゃんを邪魔者扱いばかりしているように見えるのですが、実際のところ、なつみ・みらい vs. いづみは、トムとジェリーみたいに「なかよくけんか」している関係といったところでしょう。普段は仲が悪いのに、なつみやみらいがいざピンチに陥ると、心配して助け船を出してくれます。いづみおばさんは強がってはいるけど、孤独な人。自分をなかなか認めてもらえない殺伐とした漫画業界と違って、なつみは気軽に愚痴をこぼせる相手なのかもしれませんね。そして、みらいちゃんと一緒に生活していくにつれて、だんだん情が移ってきてしまうのですが、それは見てのお楽しみとしましょう。

 なつみの「腐れ縁の仲」の山口大介。女の子の悪口を言ってからかうのが好きなのですが、それは照れ隠し。実際には、人に対する細かい気遣いのあるいい奴である事が、後に判明します。そんな大介も、過去に両親が離婚するという辛い経験をしていて、今でもその思い出を引きずって生きているのでした。その割には、新しい母の子である大平ちゃんを溺愛している、いいお兄ちゃんぶりも見られます。そんな大介が、どう過去と決別するのかも描かれていますが、これも内容は見てのお楽しみ。

 そして、みらいちゃんの成長が描かれるのはもちろんのことです。そりゃあ、育児ものアニメだから当然です。

 もしこれが「どうせ子供が見る作品だから」と子供をナメて作った作品だったとしたなら、大人どころか子供が見ても実にくだらない。私も気に留めてさえいなかったことでしょう。しかし私が「ママ4」を初めて見た時、上に挙げたように、子供向け専用にするには全く惜しいほどに濃いテーマを扱っている、と感じたことを覚えています。

 「小学4年生が子供を産んでしまう内容の作品」とこれまで誤解していた方、「テレビアニメで放映されたなんて、どうせ子供向けで幼稚な内容なんだろ」と思い込んでいた方、食わず嫌いは損です。機会が出来次第是非とも御覧ください。「女っぽい」などの理由で敬遠していた作品を実際に見てみたら、本当は素晴らしい作品だった、もっと早く知るべきだった、という話は結構あるものです。

 幼児虐待がたびたびニュースになる昨今ですが、そんな世の中にあって、この作品を通じて「育児とは何ぞや」「家族とは何ぞや」「家族愛とは何ぞや」について考えてもらいたい、私はそう願っています。


ママ4の謎

 とは言え、設定が完璧とは言い切れない部分もないわけではありません。これは「お約束」と割り切って楽しみましょう。

 まず、未来のなつみは、1992年の出来事を全部知っていると言っていました(第50話:タイムスリップの朝)。でも本当にそうだったとは思えないようです。例えば、未来のなつみは、いなくなった赤ちゃんを捜している、と言ってました。なぜなのでしょう?

 次に、みらいちゃんがはしゃぎ過ぎなのが、少し気になります。まさか、間違って笑い茸でも食ってしまったというわけではないでしょうが(念のために注:笑い茸は麻薬成分を含むため、最近法律で採取が規制されました)。閑話休題。普通の赤ちゃんは平常時にあんなにバブバブ言っているわけではなく、実際にはもっと静かです。もちろん泣けばうるさいし、笑っている時はみらいちゃんみたいに笑いますが、あんなに四六時中バブバブ言ったりキャッキャッと笑ったりしてる赤ちゃんは現実にはいません。これはお約束、つまり赤ちゃんの存在をアピールするための漫画的な誇張表現、と割り切りましょう。

 最後に、なつみがみらいを病院へ連れて行った時、保険証もなくてなぜ大丈夫だったのか、という疑問を持っている人は、結構多いようです。これは実は謎でも何ともなくて、保険証がなくても全額自己負担すれば、ちゃんと病院にかかれます。よくある例としては、旅先で保険証を忘れた人や、健康保険料を未納で保険証をもらってない人や、オーバーステイの外国人などがそうです。でも、なつみはみらいの保険証がない理由をどう言い訳したのでしょうか。想像してみましょう。


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