おたくになりたい
後悔公開講座

7つの迷信

迷信1.少女向け作品は男の子に見せると女々しくなってしまうし、見せるべきでない。

時代間違えてませんか? それに、女らしい性格しか学べないわけではありません。

 それが常識だったのは、あなたが子供だった頃が最後で、今やそういう思想はもう古いのです。大体、このような考えは、男女の相互理解において、邪魔以外の何ものでもありません。

 それに、少女アニメの好きな女の子は、みんな、おしとやかな大和撫子に育っていますか。それとも、ひとりひとり、いろんな個性を持った子に育っていますか。

 これは男の子だって同じです。それに最近は、(セーラームーンやキューティーハニーは極端な例としても)男の子も顔負けの元気いっぱいな登場人物も多いのではありませんか。

 また、少女向け作品の登場人物はほとんどの場合、少女だけではありません。まわりの男性がその話の中の少女に大きな影響を与えているものです。そこから男の子が学べる点も、大きいのではありませんか。もちろん、作品にもよりますが……。

 「男の子ならトム・ソーヤー、女の子なら赤毛のアン」ではなくて、「男の子も女の子も、トムソーヤーと赤毛のアンの両方を楽しむべきだ」というのが私の考えです。読書の幅が大いに広がりますし、男の子も、時には女の子のものの考え方というものを知るべきなのです。

迷信2.子供っぽい趣味に大人が手を出すべきではない。

必ずしもそうだとは言えません。

 反対者の多くは、少女趣味的というより子供っぽいという理由で反対するものです。
 なるほど、全面的に否定もできないし、しかし全面的に肯定もできないと思います。
 この基準は時代や国などによって大きく変わってくるものです。 しかし現代の日本では、大人がいわゆる「子供っぽい趣味」に手を出すことは、ものによっては社会的に認知されているものです。例えば最近のキティちゃんブームがそうです。
 また、子供のものでも古いものなら大人が手を出すことは認知されているものです。大人が「ヴィンテージ」とか「レトロ」という名目でブリキのおもちゃを集めることも普通になっています。おもちゃなんて子供ぽいからやめるべきでしょうか? むしろ、高尚な趣味だなんてほめられることもあるものです。
 要は、ものによるのではないでしょうか。だいぶ社会的に認知されているのは事実だし、節度を守って手を出す分には問題ないと思うのです。

迷信3.ロリコンとは、女の子をかわいがることである。

部屋に普通のアイドルポスターを貼るのと、アイドルのヌードポスターを貼ることくらい大きな違いがあります。

 まず、誤解されがちな「ロリコン」という言葉の意味をはっきりさせることから始めます。ここでは、「小さな女の子に大人の男性がエッチな欲望を抱き続けること」と定義しておきます。

 ただ小さな女の子をかわいいと感じたり、かわいがったりすることは、ロリコンになりますか。いいえ。もしそうなら、娘をかわいがっている父親はみなロリコンになってしまいます。

 普通にかわいがることと、ロリコンとの明確な違いは、このような例えで示せるかもしれません。皆さんはウサギを飼ったことはありますか。私は小学時代に家で飼っていたことがあります。ウサギは本当にかわいいですね。ニンジンをあげたり腕に抱いてかわいがったのを思い出します。このようなかわいがり方は、ごく自然の情愛ではないでしょうか。

 ウサギや子猫をかわいがるのと同じように、小さな子供たちを「かわいい」と感じたり、かわいがったりするのは、ごく当たり前の行動です。なぜなら、我々人間は、人間愛というものを感じるよう造られているのですから。

 しかし、私は(たまにニュースで報道されるように)ウサギを残酷な仕方で殺したり、わざといじめたりはしたくありません。子供たちだって、肉体的・精神的・性的に虐待するのはよくないことです。自らの欲望を実現させようとして性的虐待を行なう人のこと(これを痴漢と呼びます)が、たまにニュースで報道されますが、もし子供に対して本当の意味でごく自然の情愛を抱いているなら、そんなことはしないはずです。

 ですから、前述のようなことを言って非難する人々は、「かわいがる」と聞くと「性的にかわいがる」ことしか連想できなくなってしまった、心のすさんだかわいそうな人々か、あるいは世間一般の誤解を信じ込んでしまったかの、どちらかです。 しかしそんなこと、「かわいがる」のうちには入りません。

迷信4.少女向け作品を男性が好む心の背後にはヒロインへの性欲がある。

女性を性の対象としてしか見られないオトコには、むしろ少女漫画の本当の魅力はわかりません。

 もしあなたが、「あなたは姉妹(または母親、娘など)と一緒に住んでいて、本当に仲良くしてるみたいだけど、それは情欲を抱いている証拠じゃないのか? 私にはそうとしか思えないのだが」と言われたら、どう思いますか。大抵の人はきっと激怒するはずです。親子兄弟の愛と異性に対する愛という根本的に異なるものをわざと混同された上に、単なる憶測で根も葉もない中傷をされたのですから。

 「花とゆめ」のような少女漫画誌や少女アニメ等の愛好者は女性だけではありません。男性もたくさんいます。しかし、ある男の人が少女向け作品を愛好しているというだけで、それをヒロインへの性欲と結びつけるのも、それと同じくらい大きな誤解、いや中傷と言って当然でしょう。そもそも作品に対する愛と異性に対する愛とは、これまた根本的に異なるものですから。

 「これまで少女向け作品など興味がなかったけど、ふとしたきっかけで見てみたら、ストーリーが面白くて興味を持った」という人は多いものです。実際、多くの読者・視聴者は、ただ純粋に楽しんでいるだけです。

 そもそも、女性を男性の性の対象とか性の奴隷としてしか描かないエロ漫画を読むよりも、女性を一個の人格を持った人間として扱っている少女漫画を読む方が好きだという男性は、むしろ健全そのものの証ではないでしょうか。

 それでも、「いつもそういう作品で女の子ばかり見ていたら、絶対に変な欲望を持つようになって、そういう人はみんな実際に女の子に手を出すようになる。現にそういう人もいたじゃないか」と意見する人もいます。しかし、それは正しいですか。

 ひとつの例を挙げてみましょう。学校の先生には女性だけでなく男性もいます。そして男性教師は(男子校を除けば)日常たくさんの女の子と接しています。

 しかし残念なことに、時々、教え子に“いたずら”をした不謹慎な教師のことがニュースで報道されます。それでは、男性教師はみんな、そんな人ばかりなのですか。「男が学校教師をやると、だれだって変な気を起こすに決まっているから、そんな仕事などやめてしまえ! わざわざそんな仕事選ぶ必要ないだろ!」などと言う人がいるでしょうか。

 いいえ!それはごく一部であって、かえって例外的な存在に過ぎません。その点に関して言えば、みんなまじめな先生ばかりですし、実際、そういうセクハラ教師を見つける方がかえって難しいくらいじゃないですか。それでは、少女漫画やアニメのファンに関してもちょうど同じことが言えるのではありませんか。

 さて、男性読者の皆さん、「ちびまる子ちゃん」のアニメ放映が開始された時、あなたは見ていましたか。意外と多くの男性が「これは少女アニメ・少女漫画だ」などという先入観にとらわれずに見ていたのではないでしょうか。少なくとも私の周りではそうでした。例えば、「オレはホモとロリコンとオタクが大嫌いだ」と公言していたある男子学生は、ちびまる子ちゃんの大の愛読者でもありました。それに、当時は男も女も、アニメファンもそうでない人もみんな、エンディングテーマ「おどるポンポコリン」を歌っていたのを思い出します。

迷信5.アニメ同人誌はみんなエッチなものである。

それは全体のほんの一部です。

 少し前に、同人誌の、成人向け漫画問題がマスコミで扱われたことがあります。そのため、同人誌=エロという間違った認識をしている人は多いものです。

 しかしこれは、アメリカのある雑誌に載った「インターネットのホームページの8割はポルノ関連である」というような誤解と同じように、明らかな誤解です。

 また、「同人誌専門店」の正面には、肌色が表紙のほとんどを占めている本が飾ってあることが多いですが、残念ながらこれも誤解の元となっています。

 実を言うと、このようなものは同人誌のほんの一部に過ぎません。ほとんどは即売会や通信販売等、書店を通さない別のルートを通って配布されていますし、もっともっといろいろなジャンルのものがあります。

 実際私も幾つか同人誌のサークルを知っていますし、学生時代の同級生にも作っている人がいますが、ほとんどが健全、純粋に楽しんでいるだけのサークルでした。「エッチな絵を描くと雰囲気が壊れるから、そういう絵は描きたくない!」「自分の好きな作品のエロパロディなんて、絶対読みたくもない!」と言っている同人誌作家が、私の予想していたよりも意外にも多くいたのには驚きでした。

 そもそも「同人誌」と言っても、おじいちゃんたちの俳句の同人誌やら、おばさんたちのミニコミ同人誌やらと、アニメに限らずいろんなものがあります。このウェブサイトだって、オンライン同人誌の一種じゃないでしょうか?

迷信6.少女アニメを見てる男は、仮想と現実を識別できなくなって犯罪を犯すようになる。

正しい鑑賞法をしているなら、そんな事はおぞましくて出来ないのが普通でしょう。

 何か事件が起こるたびに、「現実と架空を識別できないのは怖いことだ」などと決まり切ったコメントをのたまうマスコミの影響なのか、このような迷信を信じている人は多いものです。しかし、そんなことを言ってるはずのテレビが、クリスマスシーズンともなると、サンタクロースという嘘を子供たちに教え込んでまで、架空を現実と混同させようと躍起になっているのは、どうしてなのでしょう。これは大きな矛盾としか言いようがありません。

 また、もしあなたの身近にこんな人がいたら、あなたならどう思いますか。

 これは「仮想と現実を混同している人」を目醒めさせるためには、必要な事柄でしょうか。考えてみてください。

 大体、架空の作り話をまさに現実っぽく見せて、読者や観客をその世界へ引き込み魅了し共感を呼び涙を誘う。そんな作品こそ、上手な作品と呼ばれ、また作品の使命とも言えるのではありませんか。

 結局、「現実と架空を識別できない」なんて言葉は、よく考えてみるなら、ある作品の世界を自分が理解できないことによる違和感や言い訳に過ぎないのではありませんか。

 私自身について言うなら、メルヘンの世界が虚構のものとは幼児期から知ってはいたけれど、それでも舞台裏のその「お約束」を楽しみながらも、大抵は十分楽しんでいたし、ましてや「仮想と現実を混同している人を目醒めさせる努力」なんてしませんでした。本当はないけど、そんな世界があったらいいな、という楽しみ方こそ、普通の楽しみ方ではありませんか。この程度で「仮想と現実を混同」うんぬんなどと言って欲しくありません。

 さて、犯罪うんぬんについて言うなら、もし仮に私たちがその少女アニメの世界に入れたとしても、そんな犯罪行為はそのアニメの世界でさえヒロインに嫌われるのではありませんか。つまり、アニメのヒロインに痴漢まがいのことをしたいなどという妄想は、正しい鑑賞からは決して生まれるはずがありません。もしあるとしたら、見ている本人の鑑賞法がねじくれているだけなのです。

 また、混同している人もいるようですが、少女アニメとアダルト向けの変態アニメは、絵のタッチが似ていることがあるとは言え、全く似て非なるものです。少女アニメのファンだからと言って変態アニメも好きだなどと早とちりしないでください。そんなのは見るのもおぞましいと思っているアニメマニアの方がむしろ多いものです。

迷信7.電子メールのような電脳空間でのコミュニケーションは異常な人間関係である。

「ペンフレンドの現代版」とか「手紙文化の復権」と言った方がより正確でしょう。

 「ネットや電子メールなど、文字だけに頼った異常な関係だ」、という意見を大まじめに主張している人は大勢います。しかし私は一つの質問を投げかけたいと思います。

 直接会って話をすることだけが、本当の意味での正常なコミュニケーションなのですか。電話は相手の顔が見えません。手紙は相手の顔も声もわからないし、文字(と、時には絵)だけに頼った通信手段です。遠くにいる家族に電話をかけたり、好きな女の子にラブレターを書いたり、奥さんがご主人の愛妻弁当に愛の手紙を添えてあげるのでさえ、異常なコミュニケーションだというのですか。

 もちろん、直接会って話をすること、これに勝るコミュニケーションはないでしょう。しかし、インターネットも電話や手紙と同じで、相手に何かを伝えるための一つの手段、道具に過ぎません。問題はその通信手段そのものや、その手段が古くからあるか最新のものかではなくて、その使い方です。

 いたずら電話、偽ラブレターや不幸の手紙など、メディアの悪用は昔からある問題ですし、そのような問題が一部で見られるからといって、そのメディア自体が悪いわけではありません。犯罪や不健全な趣味に電話を使う人もいれば、遠くにいる家族を励ますために電話を使う人もいます。インターネットも同じです。電話や手紙の時と同じような常識を持って行動すれば、何も問題はないのではありませんか。


不当な詭弁を見分ける助け

 私の実体験をもとに、よく使われる定石をまとめてみました。

正当な反論と個人攻撃等とのすり替え

 ある人物が正論を述べていたとしても、話を聞く前に「あいつはおかしい」「気違いだ」と決めつけて馬鹿にし、その論議の信頼性を落とそうとするのが狙い。これ自身は論議の誤りを決して証明しているわけではなく、論点が巧妙にすり替えられていることに注目。以下はその応用例。

 少女漫画は高尚な芸術だと主張する男性がいるですって。 大体、少女漫画を読んでる男なんて、どんな人たちなのか、考えてもみなさい。 率直に言うなら、おたくでしょう。 私が観察している限り、そういう人で人間的に魅力を感じる人なんて、まずいません。 人間的にまっとうに見られたいのであれば、そういう人の肩を持つのはやめた方がいいんじゃないですか。 あなたもそういう人の主張を支持するなら、必ず彼らの仲間に見られますよ。

一方的な決めつけ

 正しいか間違っているかは関係なく、とにかく自分の都合の良いように勝手にレッテルを貼ったり、自分の好き嫌いが正義であるかのように一方的に決めつける。 反論されたら「一理あるかもしれないが、それでも何か違和感を感じる」などと自分の好き嫌いや野生の勘で逃げる。

 大体、少女漫画などという、顔の大きさに比べて目の大きさがおよそ人間のものとも思えない、気違いじみた絵を好んで見る人がいるなんて、私には到底信じられません。
 あなたは、「これはあくまでもデフォルメで、芸術の範疇」とみなすかもしれませんが、それはどう見てもあなたの美的センスが狂ってるとしか言えないのではありませんか。

「そんなことやってる暇があったら」

 自分の嫌いな・理解できない・自分にできない物事をやっている人を皮肉る時の古典的な定石。 皮肉っぽい決めつけや、わざとらしい間違いを含めることも。

 まあ、私だったら、そんな少女漫画だかロリコン漫画だかわかりませんが、こういうおたくで下劣なもの読んでる暇があったら、その無駄な時間をもっと有益なことに使えないものかと思ってしまいますけどね。 もっとも、こういうことが有益だというねじくれた価値観を持ってるあなたに忠告したところで、余計なお節介かもしれませんが。

 あなたはさっき日本語を間違えましたね。 くだらない少女漫画なんか読んでるからですよ。 その分の時間を、きちんとした日本語を覚えるのに使ったらどうですか。

“権威”からの引用

 自分の権威を強調したり、いわゆる有名人や専門家などの言葉を引用しながら威嚇すること。 前者では、例えば一般的な例では「私は医者ですがあなたには何の知識もありません。ですから、私の診断は正しい。あなたは黙って私の言うことを聞けば良いのです」。
 後者では、その「権威」の伝える内容を、自分の都合の良いようにねじ曲げて使うのも定石。例えばこのように。

 私は以前、朝日新聞で、最近発生している少女に対する殺人事件は、ホラー映画やアニメが原因だという記事を読んだことがあります。 他の専門家もみんな、同じことを言ってますよ。 あなたは少女アニメを見てるなんて、これは危険じゃないですか。 このような専門家よりあなたの考えが正しいなんてどうして決めつけられるんですか。

 専門家の意見を絶対的なモノサシとしていること、「他の専門家も」という言葉で引っくるめ、全ての専門家が自分と同意見であるように装わせていること、アニメ作品に高尚なものもあれば下劣なものもあるのに、故意に混同している点に注目。

「いつか泣きを見る」

 デッチ上げで嘘だらけの「将来後悔する」結論を創作するのも定石。

 あなたは、「少女漫画を読むことくらい小さなことだ」と思うかもしれません。 しかし、今あなたは健全に楽しんでいるつもりであっても、こういう芽を今放っておくと、いつかこれがきっかけで少女に欲情するようになって、宮崎勤みたいなことになってしまうのが最後ですからね。 そして自分や家族に汚名をそそぐようになっても私は知りませんよ。

「群衆に加われ」

 一般に広く受け入れている意見、信条、感情、偏見などに訴えかけ、それらに追従しないのは愚か者であるとか、時代遅れである、和を乱している、と思わせるの類。
 特に、その「一般的な意見」を、自分の都合の良いように捏造(ねつぞう)することも広く使われるテクニックである。

 確かにあなたの主張も一理あるかもしれませんね。
 でも世間一般では、
「えっ、男が少女漫画読むなんて、頭どうかしてるんじゃないの!」
と言う人の方が絶対多いと思いますよ。
 嘘だと思うなら、試しにアンケートでも取ってみればどうですか。 百人中百人とまでいかなくとも、一人くらいは「いいんじゃないの」って言う、あなたみたいな変人も、世の中広いからいるかもしれませんが、残り九十九人は絶対あなたみたいな行動をおかしい、変態だと思うに決まってます。
 このような現実がある以上、いくらあなたが主張したところで、受け入れてはくれないし、自分や家族に恥をかかせて迷惑をかけるだけじゃ、ありませんか。

 しかし、他の人が行なったり信じている事柄をすべて自分も受け入れなければならないとは限らないし、それが正義を測るモノサシになるわけでは決してない。 他人に盲目的に追従とは、「赤信号 みんなで渡れば こわくない」の論理である。

二者択一論法

 選択肢が数多くあるかもしれない場合でも、自分に都合の悪い選択肢を故意に無視して、二つだけに限定してしまうの類。

 少女漫画を読むおたくの仲間になって気違い生活を送るか、それをやめて人間的にまっとうな生活をするか、どちらを選びますか。

 しかし、節度を持って時々・たまに少女漫画を読み楽しむ非おたく生活も実際にはあるのである。

 参考文献:嫌われ者養成スタック(原作者によるダイジェスト版) および嫌われ者養成スタック(ノーカットの海賊版?)


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