文語譯聖書の思ひ出

 何故、私は幼兒期より正字正假名に親しんでゐたか。兩親共“日本古來の傳統を守れよと靖國神社へ參る國粹主義者”なる故か?

 否、否、否、斷じて違ふばかりか、逆に基督教徒(クリスチヤン)であり、文語譯聖書を愛用してゐた故であつた。

 「日本聖書協會 文語譯」。此は昔、基督教徒(クリスチヤン)の間にて廣く使はれてゐた飜譯でした。文語體が使はれてゐたことと、舊約部分で神の御名を「主」ではなく固有名詞(ヱホバ)で譯してゐた唯一の聖書だつたことが特徴だつたのを思ひ出します[*1]。名も無き花々に一つ々々名を付け、自分もコルデリアでもeの字の付いたanne(アンヌ)でも名前で呼んで欲しかつたアン・シャーリイと同じく、傳統的なヱホバでも學術的なヤハウェでも神樣に名前があるかあらぬかは私には大きな違ひでした。

 それはともかくとして、私は幼兒期にこの文語譯聖書を手垢が付くまで愛用したものでした。正假名遣ひ(歴史的假名遣ひ)ですが漢字には全部振り假名(ルビ)が振つてあつたので、集會(ミーテイング)で話し手が聖書を讀む間手持ちの聖書を目で追つたり、自分でも讀んだりしてゐるうちに、すらすらと普通に讀めるやうになつてきました。でも母は「こつちの方が讀みやすいから、皆の前で讀むにはこつちを使ふと良い」と言つて私に日本聖書協會の口語譯もくださりました。

 しかし私は、大人と同じ聖書を使へないことが一寸不滿ではありました。「幼兒は歴史的假名遣ひなどといふ難しいものは、覺えられるはずがない」とハナから決め附けられてしまつたやうで、一寸殘念に思ひながら、口語譯で讀んでゐました。

 實を言ふと、歴史的假名遣ひなどといふものは、幼兒期にこそ教へるなら効果が上がるものなのです。「歴史的假名遣ひは假名と發音が違ふ部分があるので覺えにくい」と言ふ人もゐるかもしれませんが、英語はどうでせう。英語の綴りと発音は、佛語や獨語など他の西歐言語に比べ法則に例外が多すぎます。しかし、マザー・グースの韻を踏んだ歌を歌つたりしていくうちに、子供たちも英語の綴りと発音の少し複雜な法則性を覺えていきます。

 正假名遣ひも、現代假名遣ひより一見難しさうに見えますが、それでも例へば「は」や「へ」は語の頭では「ワ」や「エ」と發音しないなど、ある程度の法則はきちんとあります。正假名遣ひで教育された時代の子供たちは、それらの法則性を体で覺えてしまひました。それに加へ、江戸時代は變體假名だって子供たちはどんどん覺えてしまつたほどです。

 漢字にしてもさうです。教育家の石井勲氏は「幼兒にとつては『鳩』といふ字が最も容易で、『鳥』が次、『九』が次、『はと』が最も難しい。」と述べてゐます。幼兒にとつて漢字とは繪記號のやうなものなので、子供に好奇心があり、教へる方法さへ良ければ、大人が想像してゐる以上にすぐ覺えてしまうものです。

 しかしながら、私がこの飜譯を使つてゐたのは一九八〇年初め頃までで、それ以降は他の口語譯に全面的に切り替へる方針となりました。周りの大人は「やつと讀みやすい飜譯になつた!」といふ聲を發してゐましたし、私もさうは思ひましたが、一寸さみしい思ひも一方では殘りました。

 三つ子の魂百まで。この文語譯を幼兒期に愛用してゐたことは、學校で古典を學ぶ時に大いに役立ちました。また、私にとつてこれは一時期、現代表記と同じくらい慣れ親しんでゐた表記であるため、今でも俳句や短歌を詠んだり個人的なメモを取るときなどには正字正假名をよく使つてゐます。

[*1]文語譯聖書は明治時代に(ヘボン式ローマ字で有名な)ヘボンをはじめとする飜譯グループにより飜譯された聖書であり、今なほ宗派を問はず多くの基督教徒に愛讀されてゐます。文語譯聖書愛讀者にとつて、ヱホバとは異端しか使はぬ言葉だなどと言はれるのは心外だし大變な誤解であつて失禮なことです。間違ひなきやう。ヤハウェの方が原音に近いらしいと云ふのが現在の定説ですが、昔から論爭の絶えない、どう音譯するかといふ問題は、藤原定家の「定家」を「ていか」と讀むか「さだいへ」と讀むかと同じで、些細な問題だと私は考へてゐます。


文語譯聖書による聖句

 當時は文語體の(まま)覺えてゐたものでした。尤も、專ら口語體聖書を使ふやうになつてからすつかり忘れてしまひましたが、今讀んでみて直ぐ思ひ出しました。

 文語體には口語體に出せぬ獨特の雅やかな語感が特徴です。英文譯にも文語體のジェームス王欽定譯の例へば"Thou shalt not kill"(汝殺すなかれ)と他の現代語譯"You shall not kill"(あなた方は殺してはならない)の違ひがあり、今でも文語の欽定譯を愛用してゐる英語圈の基督教徒(クリスチヤン)もゐるさうですが、その氣持ちはわかります。

 尤も、「全ての人に福音を傳へる」爲にも、「難解な文語譯でなく平易な口語譯を普及させるべき」との考へが現在主流ですが、それにしても現在の日本口語は囘りくどい譯になりがちな傾向があり、洗練された手短な言葉で表現する文語譯に學ぶ點も多からうと思ひます。

 とりわけ、此の聖句は文語譯の名文として有名です。「()かず、刈らず、倉に収めず」と、口語譯には眞似の出來ぬ、簡潔な文體の美しさを味はつてください。


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