佐藤紅緑「あゝ玉杯に花うけて」 第三章より
……英語の先生とはいうものの、この朝井先生は猛烈な国粋主義者であった、ある日生徒は英語の和訳を左から右へ横に書いた。それを見て先生は烈火のごとくおこった。
「きみらは夷狄のまねをするか、日本の文字が右から左へ書くことは昔からの国風である、日本人が米の飯を食うことと、顔が黄色であることと目玉がうるしのごとく黒く美しいことと、きみに忠なることと親に孝なることと友にあつきことと先輩をうやまうことは世界に対してほこる美点である、それをきみらは浅薄な欧米の蛮風を模倣するとは何事だ、さあ手をあげて見たまえ、諸君のうちに目玉が青くなりたいやつがあるか、天皇にそむこうとするやつがあるか、日本を欧米のどれいにしようとするやつがあるか」
先生の目には憤怒の涙が輝いた、生徒はすっかり感激してなきだしてしまった。
「新聞の広告や、町の看板にも不心得千万な左からの文字がある、それは日本を愛しないやつらのしわざだ。諸君はそれに悪化されてはいかん、いいか、こういう不心得なやつらを感化して純日本に復活せしむるのは諸君の責任だぞ、いいか、わかったか」
この日ほどはげしい感動を生徒にあたえたことはなかった。
「カトレットはえらいな」と人々はささやきあった。
佐藤紅緑「あゝ玉杯に花うけて」 第九章より
……この溢るるごとき群衆をわけて浦和中学の選手が英気さっそうとして場内に現われた、そろいの帽子ユニフォーム、靴は黒と白の二段抜き、靴のスパイクは朝日に輝き、胸のマーク横文字の urachu はいかにも名を重んずる若き武士のごとく見えた。
……(中略)……
やがて審判者がおごそかに宣告した。
「プレーボール!」
浦中は先攻である。黙々の投手五大州ははじめてまん中にたった、かれは十六歳ではあるが身長五尺二寸、投手としてはもうしぶんなき体格である、かれは手製のシャツを着ていた、それは白木綿で母が縫うてくれたのだが、かれはその胸のところに墨黒々と片仮名で「モクモク」と右から左に書いた。かれがこれを着たとき、すずめがそれだけはよしてくれといった、かれは頑としてきかない。
「おれは日本人だから日本の文字のしるしを書くんだ、毛唐のまねなんか死んでもしやしないよ」
これを聞いて黙々先生は感嘆した。
「松下! おまえはいまにえらいものになるよ」
※なお、新学社文庫版を底本としたため、略字略仮名遣い、また制限漢字は仮名に改められている(正字正仮名の底本が手に入り次第、原文に改める予定)。
この作品が書かれた当時、左横書きは欧米風、右横書きは日本風という認識があったことがわかります。この作品のカトレット先生みたいに、右横書きこそ日本語の正統な書き方という信念を持つ人も、どうやら少なくなかったようです。