言葉差別の波は聖書にまで(1)


「政治的に正しい」聖書

 オックスフォード大学出版局は、「政治的に正しい」聖書なるものを作ったという。 ある特定の表現を取り除けば、性差別・身体的差別・人種差別などを取り除けるという意図らしい。

 例えば、有名な主の祈りの中で神のことを、天にまします我らの「父」(Father)よ、と呼ぶのではなく、「父-母」(Father-Mother)と呼んでいる。イエスは「人の子(英語では男の息子)」(Son of Man)と呼ばれているが、これは"the human one"(人たる者)と中性的言葉に置き換えられている。

 「神の右の手」(the right hand of God)という表現は、「神の強き手」(God's mighty hand)とされている。左利きに対する偏見を取り除こうという意図である。

 また、ユダヤ人がイエス・キリストを殺したというくだりを取り除いてしまった(コロサイ前書二章十四〜五)。これでユダヤ人差別が取り除けるとでも思っているかのようである。
 「闇」(darkness)は、もはや「悪」の象徴としては使われない。有色人種に対する配慮である。

 家族生活についても、いわゆる“現代風”に改竄されている。子供たちは親に「従え」(obey)でなく親の言うことに「留意せよ」(heed)とされ、妻は夫に「服従せよ」(subject)ではなく「身をゆだねよ」(commit)となっている。

 「主」(The Lord)という言葉もかなり削られた。現代では私たちにはlord(主人、君主)なるものはいない、というのがその理由である。"The Lord is my shepherd"(主は我が牧者)で始まる詩篇二十三篇は、"God is my shepherd"(神は我が牧者)となり、また「彼」(he)という言葉も完全に除かれたという。

 果たしてこんな聖書、イエス・キリストならどうご覧になるだろうか……。


 われ(すべ)てこの(ふみ)の預言の(ことば)を聞く者に(あかし)す。もし之に加ふる者あらば、神はこの(ふみ)に記されたる苦難(くるしみ)を彼に加へ(たま)はん。()しこの預言の(ふみ)(ことば)を省く者あらば、神はこの(ふみ)に記されたる生命(いのち)()、また聖なる都より彼の受くべき分を省き給はん。
――ヨハネ默示録二十二章十八〜九節。

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