「チョン」を含む言葉 語源の違うものもあり

 私自身は千葉県で育ったが、私の日常生活の範囲に限るなら、朝鮮人差別なるものににお目に掛かることがあまりない。せいぜい、朝鮮人学校の生徒に悪口を言ってからかう学生の話をたまに聞く程度だ。

 それゆえ私は、どうしてこんなに朝鮮人が差別されなくてはならないのかとかねてから疑問に思っていた。戦時中に徴用されて連れてこられた朝鮮人が多かったのか、市内には朝鮮人墓地があったり、また朝鮮料理の食材屋も何軒かある。かつては駅前通りに朝銀の支店もあった。しかしこれは単に異国情緒をほのかに感じる珍しい店であるという印象であって、差別意識など私の頭に上った事すらなかった。そういえば、私の幼い頃、1980年前後のことだったが、朝銀のそばを通るたびに、母がポスターの朝鮮語やチマチョゴリを着た女の人を指さして、「ほら、韓国ではこういう文字を使ってるのよ。それにこういう服を着てるのよ」などと普通に説明してくれたのを思い出す(だから、私の幼い頃に朝鮮へのささやかな憧憬を与えてくれた朝銀が、最近になって破綻したり不正融資・不正送金疑惑が明るみになったのを見ると他人事ながら複雑な心境である)。しかし、両親とも人種差別意識がほとんどないという、私の育った環境は、周囲の平均と比べると例外的だったのだろうか。それでも、一般に大人は朝鮮の話題を何となく避けたがっているように見えたのが、私にはどうも不思議だった。

 最近になって、戦時下や戦後の歴史を詳しく知って、この問題の根の深さを改めて知ったのだが、しかし私は思う。日本人が十人十色であるのと同じで、朝鮮人も十人十色なのだ。それに、表面的には気が強くて取っつきにくそうに見えても、実際にはなかなか気の優しいいい人だったりすることがある。一方的な偏見の目で、すべての朝鮮人を否定してはならない。

 こんなわけで、私の意見は、あまり世の中のドロドロが見えてない立場からの意見に過ぎないかもしれない。はじめに断っておくことにする。

「チョン」は全て悪い言葉なのか

 まず、「チョン公」や「チョン」という言葉だが、これは朝鮮人をあざける言葉として使う事は避けるべきだろう。もしかしたら「アメ公」や「露助」や英語の"Jap"のように、当初は朝鮮人に対する渾名(あだな)的に始まった呼び方かもしれない。しかし、大抵は侮蔑を意図して使う事が多いように思えるのでよく注意すべきだろう。

 しかし、その他の「チョン」ないし「チョン」を含む言葉のうち、誤って“差別用語”とされてしまっている言葉も多いものである。たとえば点を打つ事を表す「ちょん」や「ちょん切る」の「ちょん」といった擬声語、それに韓国人の姓の「全」「鄭」なども「チョン」と読むが、どれも差別的な言葉などではない。他にも似たような事例があるので紹介していく。

馬鹿でもちょんでも 朝鮮人説は根拠薄し

 さて、「馬鹿でもちょんでも」あるいは短縮して「バカチョン」という表現だが、この「ちょん」は朝鮮人を指すのだという人もいれば、そうでないと言う人もいる。

 「ちょん」という言葉は朝鮮人とは関係ない、「馬鹿」という意味で古くから使われていたことは、どうやら事実のようである。また、「馬鹿でもちょんでも」の用例としてよく引き合いに出されるのが、日本の韓国併合のずっと以前、明治3〜9年(1870〜76)に出た「西洋道中膝栗毛」[*1]であるが、「ばかだの、ちょんだの、野呂間だのと」という表現で出ており、「ばか」「のろま」と並列して書かれていることから考えても、この「ちょん」は元々、「馬鹿」というだけの意味であった可能性が高い。

 しかし後の時代になって、朝鮮人をあざける「チョン公」や「チョン」と、「バカでもチョンでも」の「チョン」が混同されるようになったのではないだろうか。そもそも、朝鮮人の蔑称として「チョン公」とか「チョン」と呼ぶようになったのは、まだまだ歴史が浅いのでは、という疑問があるが、まだ調査不十分ゆえ仮説の域を出ない。更なる証拠を求めて現在調査中である。

 「バカチョンカメラ」という言葉について言うなら、「馬鹿でもちょんでも」使えるカメラという語源が定説かと思われる。一説によると、英語で同じ意味のvacation camera(いつでもどこでも気軽に行楽に使えるカメラという意味)を和訳する時、単に「バケーションカメラ」と音訳するのではなく、「馬鹿でもちょんでも」と引っ掛けて「バカチョンカメラ」としたという。語源には様々な説があり、「バカでもチョンと押せば写せるカメラ」の略であるという説もあるが、この説は根拠が薄いかもしれない。

 これは俗語なので、昔から辞書には載ってないし活字で見る事はあまりない言葉であって、私は小学時代知らなかったのを思い出す。1986,7年頃だと思うが、私が父から借りたカメラ(昔懐かしのOLYMPUS PEN)を母がバカチョンカメラと呼んでいるのを聞いて、バカチョンカメラって何?と聞いたのが、その語に初めて接した時だった。馬鹿でもちょんでも、つまり誰にでも簡単に使えるカメラの意味だということだったが、その「ちょん」は朝鮮人の意味だとは言っていなかった。しかし、当時から母は人種差別には断固反対だったから、もし本当に朝鮮人の意味が含まれていることを知っていたのなら、決して使ってなかったはずだろうと思う。

 それ以降気を付けてみると、「バカチョンカメラ」という言葉はよく使われる言葉で、ただ私が知らなかっただけだと気付かされた。しかしこの言葉、言葉狩りされる以前に使っていた人のほとんどは、「チョン」の意味などほとんど気にせず使っていたのは確かだと思う。他の人に語源を聞いても、「バカ+チョン+カメラ」というより、「馬鹿でもちょんでも」という慣用句に、プラス「カメラ」という意識だった。

 バカチョンカメラのチョンは朝鮮人の蔑称から来ているという話を聞いたのは、その数年後のことで、この怪しげな説をみんな鵜呑みにしたせいか、以来この言葉はあまり聞かなくなってしまったように思う。

[*1]「東海道中膝栗毛」と間違えないように(私も以前間違えて書いたことがあります)。東海道中膝栗毛のパロディで弥次さん北さんと同名の孫がロンドンの万国博覧会に行くという内容の本らしいです。

チョンガー 朝鮮語で「未婚男性」

 チョンガーは朝鮮語で「總角」と書き未婚男性を指す言葉である。対になる言葉は「處女(処女)」であり、「總角處女(チョンガクチョーニョ)」で未婚の男女という意味。漢字からもわかるように朝鮮人の侮蔑語「チョン」とは無関係である。

 ただし、ネガティブなイメージもある言葉らしいので、使う時は注意が必要かもしれない。以下に広辞苑第五版の「チョンガー」の解説を引用する。

チョンガー【総角】
(朝鮮語ch'onggakの転)
(1)朝鮮の丁年過ぎの独身男子の蔑称ベツシヨウ。もと髪型の名称で、丁年未満の男子は、結髪せず冠を着けず、髪を後ろに編みさげる風習があった。
(2)俗に、独身の男。

チョンボ 中国語のなまり

 麻雀用語の「チョンボ」だが、漢字では錯和あるいは沖和と書く。チョンボは後者の「沖和」がなまったものという。

  錯は「錯誤」の「錯」で「間違い」、沖は「むなしい」という意味である。


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