●「差別語含む」との指摘で岩波文庫が出荷停止
アフリカで医療伝道に従事した故アルベルト・シュバイツァー氏の著書「水と原生林のはざまで」をめぐり、出版元の岩波書店(東京都千代田区)が、同書中にある「土人」の表現が人種差別的だとする市民団体の指摘を受け、出荷を停止していたことが11日、わかった。岩波書店側は「認識不足で弁解の余地はない」としており、今後、原文と翻訳文の照合などの見直しを進めたうえで、新版として再出版する方針。
同書は、1913年にシュバイツァー氏がアフリカに渡り、妻とともに現地住民の病気治療に従事した記録。同書店からは「岩波文庫」の一冊として、故野村実氏の訳で57年に第1刷を発行し、これまでに38刷を数えるロングセラーになっている。文中に「土人」の表現が頻出しており、大阪府堺市の市民団体「黒人差別をなくす会」(有田喜美子会長)が「差別的な表現だ」と指摘。同書店が今月4日に出荷停止を決めた。
同書店の鈴木稔・常務取締役(編集担当)は「言葉を単純に置き換えて済む問題ではない。本の価値を生かすため、原文の全面見直しなど、よりよい手だてを考えたい」と話している。
(asahi.com 2000/12/12より)
最近、シュバイツァー著、岩波書店発行「水と原生林のはざまで」が、「黒人差別をなくす会」により絶版に追い込まれた。
しかし、果たして「土人」とは本当に差別用語なのだろうか。確かに「広辞苑」第四版には
ど‐じん【土人】
(1)その土地に生れ住む人。土着の人。土民。
(2)未開の土着人。軽侮の意を含んで使われた。
(3)土でつくった人形。土人形。泥人形。
とある。確かに、「土人」という言葉が差別的に使われたこともあるかといえば、確かにそうとも言える。「土人」という言葉は、往々にして、近代文明の恩恵を受けていない、未開部族であり、我々から見れば文明的に遅れているとか、危険な野蛮人という印象の元に使われることも確かに多かったし、からかいの言葉として使われたこともあった。
そういえば、私の小学時代、色黒の女の子が「土人」といわれてからかわれていたものだった。それに、学生時代、ある寂れたラーメン屋の店主が「最近フィリピン人をよく見るけど、あいつら、まるっきり土人じゃないか」と言っていたのも、なぜか記憶に残っている。
少なくとも、当時は「土人」=「未開人で我々文明人より劣った生活をしている民族」とか「野蛮人」というステレオタイプがあったので、当時、特に前者は確実にからかいの言葉となり得た。
しかしながら、私の記憶では、小学時代だか中学時代だか、クラスにこんな女子がいたのを思い出す。自らを「ケニヤ」と呼んで、自分で作ったケニヤダンスを披露して友達と一緒に楽しんでいた。そう、色黒の「土人みたいな」肌をしていても、それを自ら誇りへと転化していたのである。いや、「土人みたい」というのをネガティブにとらえてしまう事こそ、我々の間違いなのかもしれない。
「土人」とは「土の人」と書き、元々は土着民つまりその土地の原住民を表わす言葉に過ぎない。侮蔑的用法ばかりが全てではなく、場合によっては単に、今で言う「原住民」「先住民族」としての意味でしか使われていないケースも、昔の本でよく見かけるのは確かだ。しかし一方で、欧米的人種観の影響だろうか、土人をどこか劣ったものとか野蛮人として扱ってきたり、からかいや罵倒の言葉に使ってきた人もいた。
しかし、「土人」という言葉をなくすだけで、差別がなくなるとか、そういう問題だろうか。「土人」という言葉そのものには罪はなく、問題は使い方である。
「土人」だというのは決して遅れた民族とか野蛮人ということではない、多くは平和を愛する民族で、その土地に自然と共に生きる民であるという正しい認識が今では広まりつつある。土人に関する間違った偏見が除かれた時、土人であることが恥ずかしくないという時代が来た時、「土人」という言葉は、もはや恥ずかしい言葉でも差別用語でも何でもなくなるだろう。