質問箱


“差別用語”に関する規則は、何らかの公的機関が定めたものですか。

 いいえ。我々が日常で使ってはいけない言葉に関する規則集を作っている公的機関など、ありません。

 もっとも、法律用語や役所用語を改める(たとえば「看護婦」を「看護師」、「らい病」を「ハンセン病」、「精神薄弱」を「知的障害」など)ことは、時々あります。しかし、これはあくまでも法律用語上、役所用語上の問題であり、日常生活で個人個人が使う言葉を制限する決まりではありません。

 もちろん、決まりがないからといって、どんな言葉でも使って良いという話にはなりません。私がこのサイトで口を酸っぱくして強調したいのが、「言葉を使うことには、自己責任が伴う」ということです。「使う際に周囲の人に気を付け、むやみに人前で振り回さない」「渡す時は柄の方を向けて渡す」などの常識を身につけて正しく使う時、鋭い刃先を持つナイフは正しい道具となります。言葉とは、刃先の鋭いナイフのようです。巧みな道具として用いるには、同じように注意して使わなくてはなりません。


“差別用語”を使うと法律で罰せられるのですか。

 いいえ。そんな法律は日本にありません。そういう言葉をうっかり使ったからと、秘密警察か憲兵に逮捕されてしまうようなことはありません。(時代間違えてませんか?)
 「差別用語」うんぬんというのは、法律で決まっているわけではなく、あくまでも出版社や放送局の自主規制です。また、それゆえに出版社ごと、放送局ごとにガイドラインが異なり、あるテレビ局でOKの言葉でも、あるテレビ局では放送禁止だったりします。例えば、千葉テレビでは「小人(こびと)」は、まずカットされず放送されます(「まんが世界昔ばなし」再放送で、ガリバー旅行記も白雪姫もちゃんと「小人」が出てきました)が、日本テレビではカットされることがありました(「リボンの騎士」再放送で、小人の出てきた回はカットの嵐で散々でした)。

 もっとも、特定人物の名誉を傷つけるために“差別用語”を使うなら法律で罰せられることはあります。 しかし“差別用語”を他の言葉に置き換えても名誉毀損は同じです。
 例えば特定人物の名を挙げて「誰々は(被差別)部落(出身)だ」という秘密を周りに言いふらすなら、名誉毀損になる可能性があります。 でもこれは「部落」という言葉を使ったことそのものが悪いのでなく、遠回しに「誰々は同和地域出身だ」と言い換えたところで同じことです。 単語そのものが悪いのではなく、言葉の使い方が問題なのです。
 でもこれは差別用語以前の問題なので、良識ある皆さんならもう大丈夫でしょう。


それではなぜ出版社やテレビ局は“差別用語”に敏感なのですか。

 人権団体などからクレームが付くかもしれないので、あるいはクレームが付くことを恐れての反応です。特に後者が主な原因だと思います。
 とはいえ、すべてのクレームが見当違いな言いがかりだなどと私は言いません。明らかに侮辱的、差別的な発言というものも確かにありますし、それらが指摘によって正されるのは良いことだと思います。
 しかしその一方で、どう考えても見当違いな言いがかりが付けられることもあります。そのような時、出版社やテレビ局は、作者や出演者を弁護し、それは間違いであるとはっきり指摘する必要があると思いますが、なぜかそうしないことが多いかと思います。

 「一人でも不快だとか差別だと思う人がいるなら、その言葉を使わない方がいい」というのが多くの出版社やテレビ局の方針であり、実際、「この言葉は差別的でないか」というクレームが一件でもあるならば、すぐダメになってしまうケースが多いといいます。それが正論であるかデタラメであるかに関係なくです。それどころか、後に調査したところ、その“クレーム”など最初からなく、“これこれという言葉は差別表現だから使わない方がいい”という噂ばかりが一人歩きしていたケースが、かなりを占めるようです。

 それにしても、「一人でも不快に思うなら放送するな」という論理が一方では過剰なほど通って、他方では無視されるとは、どうなっているのでしょう。たとえば私が、芸能人のプライバシー侵害をする写真週刊誌とかエロ雑誌とか、いじめ茶番劇を演じるダウンタウンやロンドンブーツの番組の存在を気に入らないからといって、“みんなは楽しんでるけど、私は不愉快だから出版や放送をやめろ”と言ったら、本当にそうしてくれるでしょうか。もし地下鉄サリン事件で有名になったあの団体が“自分たちをカルトと呼ぶのは少数宗教に対する差別表現だ”とか“自分たちを新しい正式名称で呼びたがらないのは差別の現れだ”などとクレームを付けたら、本当に止めてくれるのでしょうか。(注:皮肉です) あえてそうしないという確固たるポリシーがあるはずの出版社・放送局が、“差別表現”問題になると途端に尻込みしてしまうのは、どうしてなのでしょうか。


一部のネット掲示板では日常的に差別発言が行われていますが、差別発言者は法律で罰せられないのでしょうか?

 「お前、ほんまアホやなあ。頭おかしいんちゃうか」。前後の文脈や状況によって、また言われた人によって、この同じ言葉を冗談半分の愛情表現と取る人もいれば、甚だしい侮辱と取る人もいます。言った人も言われた人も既に十分納得の中で、冗談として言ってるつもりだったのに、突然警察が中に割って入って、発言者を逮捕するとしたら、困った話です。

 差別発言を含め侮辱的な発言というものは親告罪、つまり、言われた当人が侮辱(刑法第231条)とか名誉毀損(刑法第230条(1))だとして訴えた時に初めて、法的な問題となります(刑法第232条(1)本章ノ罪ハ告訴ヲ待テ之ヲ論ス)。

 もっとも、この質問にあるような、ネット掲示板での差別発言は、相手が快く思ってなかったり、明らかな差別意識の現れであったりすることが殆どでしょう。ですから、相手を侮辱や名誉毀損で訴えることもできなくはありません。

 しかし、一々訴えてたら火に油を注ぐだけのことが多いのと、弁護士費用も時間も馬鹿にならないので、泣き寝入りが多いのでしょう。残念ながら結局、掲示板利用者の良識や、掲示板管理者のしっかりとした管理に頼るところが大きいと思います。


一部の人は部落解放同盟(解同)の糾弾運動に問題があると言いますが、その事についてこのサイトであまり詳しく扱ってないのはなぜですか。

 裏が取れていないからです。差別糾弾運動を行ってきた解同の“数々の悪事”なる情報が、共産党系の全国部落解放運動連合会(全解連)の筋から流れていますが、この情報をそのまま鵜呑みにするのは危険だと思っています。仮に解同にスキャンダルがあることが事実だとしても、どこまでが真実でどこまでが誇張なのか、私には判断が付きません。このような問題は解同とよく接している人が扱った方が、より真実に近い記事が書けると思いますが、私は関東在住であり、解同の運動に関しては全くの伝聞でしか知りません。

 水平社に始まり現在の部落解放同盟でも行われている糾弾運動についての私の見解を簡単に述べることとします。部落差別問題について無関心を決め込んでいた大衆の関心を呼び覚まして差別撲滅へのきっかけを作り、部落差別をすると自分の不利益になると思わせて、少なくとも表面上の形式としては部落差別を止めさせたという点では、糾弾にも成果があったでしょう。

 しかし糾弾運動は差別撲滅の万能薬ではなく、適切な方法で行われないと副作用も大きい諸刃の剣です。気を付けないと、大衆は「糾弾が怖いから」という動機で「少なくとも表立った場所では」差別を止める、そして心の内奥では差別心が消えていない、ということになりかねません。このような運動は気を付けないと暴走の危険もあります。もし運動が加熱するあまり、何も問題のない行動までも槍玉に挙げることがあるなら、関係者の心に取り返しの付かない傷を付ける結果になったかもしれません(真実の程はわかりませんが、全解連側は、そのような例が過去に多くあったと主張します)。その糾弾が果たしてどのような方法で行われてきたのか、解同側の主張と全解連側の主張は全く意見を異にしますが、真実がどこにあるのか私にはわかりません。とは言え、これらの事柄についてもこれから調べていきたいとは思っていますが、どこまでわかるかは未知数です。


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