Political Correctnessの偽善
「在日外国人は日本で犯罪を助長している。
あいつらはすぐ犯罪を犯して
我々日本人に迷惑をかける。
あいつらを日本から追い出せ!」
こんな心ない言葉に激しい怒りを覚える人は多いもの。
一方、
「あんな言葉が差別を助長している。
差別で迷惑がかかっている!
あんな言葉、日本語から追い出せ!」と
悲しいことに 差別の罪を着せられている
多くの言葉もあるのです。
「番組中に不適切な表現があったことをおわびいたします」
テレビでこのテロップを時々目にする。
(きっと、出演者の誰かが差別用語を口にしてしまったのだろう)
そう思うかもしれない。
しかし、いわゆる「差別用語」と言われるものの中には、もともと差別用語でも何でもないのに、「差別用語」だと言いがかりをつけられてしまっているものがかなり多いことを御存知だろうか。
このページでは、それらの問題について検証してみたい。
なお、あらかじめ断っておくが、私は、差別に賛成しているわけではない。特に、それが侮蔑専門語であるなら、やはりタブーとすべきであろう。
しかし、どう考えてもその言葉自体が差別を助長しているわけでもないのに、勝手に「差別用語」のレッテルを貼られている言葉もまた多いのであって、私が問題にしているのはこのような類の言葉のことである。
「ごめんなさい、差別用語だったなんて全然知りませんでした……」
「めくら」などの言葉が放送禁止であるという話になると、よくこんな言葉を耳にする。 しかし私はその時こう言う。 「あなたは悪くないのです。それに、もともと差別用語でも何でもないんです。ただ、野菜を切る包丁で人を斬れば犯罪になるのと同じで、使い方を誤れば差別用語になる、それだけの話なんです。」
私の身近に、幼少の頃から軽いどもりを抱え続けてきた人がいる。 彼はたまに、どんな言葉がどもりやすいのかとか、人前で話すといつどもるか心配だとかいうことを、たまに私に話すことがある。 こんな具合で、彼も私も「どもる」とか「どもり」という言葉をごく自然に使ってきたし、その言葉を差別的に使ったことなど一度もない。
それで、彼がパソコンで「どもる」という言葉を打とうとした時、その言葉は日常使うにもかかわらず、なかなか変換できなかったのには驚きだった。 何と、「どもる」は差別用語扱いされてATOKの変換辞書に入っていなかったのである!
周りの人はともかく、当事者でさえ差別用語だなどと全く信じられない言葉に、このようにして「差別的で日常生活から排斥すべき言葉」のレッテルが次々と貼られてしまっているのである。
「盲目的」はダメで「近視眼的」はOK?
「めくらめっぽう」や「盲目的」は「盲人差別」のレッテルを貼られているのに、「近視眼的」は「近眼差別」に該当しないのだろうか。 近眼で眼鏡やコンタクトを付けてる人は日本中に星の数ほどいるのに、抗議する人などまずいないのは、なぜだろう。 素朴な疑問ではあるが、何かおかしいと思わないだろうか。
誰だってキチガイになるし、ビッコもひく
さっき「どもり」の例を出したが、緊張するとついどもってなかなか言葉が出ない。 そんな経験は、医師に「吃音症」と診断された人でなくとも、誰だって経験することではなかろうか。
私がある会社の事務のおばちゃんに会った時、そのおばちゃんは「月末は伝票の整理で忙しくてきちがいになってた」と言っていたのを思い出す。 そういう意味で「きちがいに」なることとか、「気が違ったように」激怒するようなことは、別に精神病と診断された人でなくとも、誰にでもある。
足に障害があるなどでなくとも、片方の足をくじいたら、「びっこをひく」のは誰だってそうである。
どちらも、守備範囲の広い言葉である。 一時的などもりも慢性の吃音症もどもりと呼び、一時的なきちがいも慢性の精神錯乱もきちがいと呼ぶ。 このように、慢性的でなくとも、一時的にとか比喩的には誰もが経験するような事柄である。 (しかし、どのどもりも必ずしも「吃音症」ではなく、どのきちがいも必ずしも「精神異常」ではない。必ずしも守備範囲の狭い言葉で言い換えはできない。)
このような言葉を正しく用いることは「差別を助長する」どころか、むしろ「我々は『障害者』や『患者』と呼ばれる人々と別の世界に住んでいるのではない。我々だって同じなのだ」という観念を無意識のうちに培うことになっているのである。
人権を盾に権利を踏みにじるクレーマーたちと、事なかれ主義のテレビ局
特にテレビ局の場合、視聴者からのクレームに極端に反応し過ぎているのが、この“差別用語”問題の原因なのである。 確かに視聴者の誠実な意見に耳を傾けることは大切だが、中にはトンチンカンな理由で「〜は差別的だ」「〜は差別用語だ」、とクレームを付ける思いこみの激しい人も結構いるわけである。
それまでならまだしも、“差別を撲滅するためなら、相手にヤクザまがいの脅迫まで辞さない”という反差別団体もあり、これもまた問題を厄介にしている。
このようなクレーマーの文句や、行き過ぎた反差別団体の“恐怖の”糾弾に巻き込まれるよりは、最初から無難に避けておこう、というわけである。
各テレビ局とも門外不出の差別用語ガイドラインがあるらしいが、どうもこれが「学校の小使さん」がダメだ、「日雇い人夫」がダメだ、「床屋さん」も「百姓」もダメだ、と、あまりにも極端なもののようである。 これらの言葉が差別用語リストに載っていたなんて信じられないという人の方が多いだろう。
結局、このような差別用語ガイドラインは、本当に差別的だから特定の用語を禁止するというよりは、特定の用語を“差別的”だとクレームを付ける視聴者によるトラブルを未然に防ぐ、事なかれ主義的なものなのだろう。 私にはそうとしか思えない。 もっとも、こういうクレーマーたちのワガママに年中付き合わされているテレビ局も考えてみれば可哀相なもので、私も同情するけれども。
いわゆる「差別用語狩り」は歴史修正主義
百歩譲って、これらの言葉が本当に「差別用語」だとしても、私は過去の作品や資料にまでさかのぼって「差別用語」を抹消することは本当に良いのだろうか、と首をかしげる。
ヒトラーのユダヤ人虐殺のような考えを皆が二度と持たないように、その歴史をあらゆる歴史書からぬぐい去ろうとしている反ナチ団体、日本人が二度と南京市民を虐殺しないように、「南京大虐殺」の歴史をあらゆる歴史書からぬぐい去ろうとしている中国人の団体が、はたしてあるだろうか。
抹消せずに残しておくことこそ、その作品や資料の作成された当時の差別の歴史を、そのまま証拠として残すことになるのである。
本当に「被差別者の気持ちになって言葉を選ぶ」とは
「私は片手落ちなんて言葉は使わないようにしている。障害や事故で片手のない人がその言葉を聞いたらと想像すると、そんな言葉は使えない」という意見も耳にする。
ある個人がそう判断して特定の言葉を使わないと決定することは自由だから、私はその決定そのものには文句を付ける筋合いはないし、思いやりの気持ちそのものはすばらしいと思う。
しかし、私個人としては、その考えには疑問である。 (完全な誤用だし見たことも聞いたこともないが)「この片手落ち!」と片手のない人に対する罵倒語として使うのにはもちろん私も反対だが、しかし、「片方に対する配慮が足りない」という正しい意味で「片手落ち」を用いることは全く問題ないと思うし、そこまで気にしてタブー語にするのは思い過ごしだと思う。
仮に、私が片方の腕を無くしてしまったとする。 それでも私は恐らく「片手落ち」という語を禁止することに対して「そこまで大げさに気を遣ってくれる必要なんて全然ないよ!」と言うだろう。 また、その“タブー”を破って「片手落ち」という言葉を使った子供に、親が声をひそめて「いけません、そんな言葉使ったら、この人が悲しい思いするでしょう?」なんて言っているのを、私が聞いてしまったなら、私はむしろ怒るだろうと思う。 日常会話で「片手落ち」という言葉を普通に使うことよりも、この態度の方がよけい差別的な感じがして嫌である。 そんなの、障害者への思いやりなんかじゃなくて、むしろ障害者を特殊なものとかタブー的にしてしまっている。
これこそまさに、現代の「差別用語狩り」の態度である、と私は思う。
車椅子に乗った人を指さして「あのおじちゃんの乗ってるの、何?」と言う子供を「そんなこと言うもんじゃありません、それにジロジロ見るもんじゃない!」と小声でたしなめることによっては、差別は決してなくならないし、障害者への思いやりも決して生まれない。 むしろ、自分の差別的でない純粋な行動に悪とタブーのレッテルを貼られたその子供は、障害者は自分と違う特殊な世界の存在で、障害者について考えるのはタブーなことと思うようになるだろうし、車椅子の人を見かけても声を掛けにくくなるだろう。
特定の言葉をいわゆる社会的弱者に大げさに気を遣い過ぎてタブー化することも似たようなものだと思う。
(それにしても、特定の言葉が差別的であるとする主張が論破された時に限って、「意図は差別的でなくても、そう思われる可能性もあるでしょ」「配慮が足りない」という言葉で、無理矢理にでも差別にこじつけるような気がするのは私だけだろうか?)
しかし、だからと言って私は「きちがいは精神病院で脳波診てもらえ!」などと見境無く自由に言って構わないと主張しているわけではない。 いわゆる“差別用語”扱いされている言葉に限ったことではないが、言葉にはTPOというものがあるのだから。
カツラやエステの会社がテレビ局のスポンサーに付いている限り、「ハゲ」や「肥満」という言葉は、恐らく永久に放送禁止用語にならないだろう。 なるほど、テレビでハゲや肥満をからかったブラックジョークが出るたびに、ハゲや肥満の人は傷ついているのかもしれない。 ゆえに、面と向かって「ハゲ!」「肥満!」と嘲笑することは避けるべきとしても、だからといって「ハゲ」や「肥満」を差別用語とするのは行き過ぎだろう。 それらの言葉を正しい時・場所・状況において正しく用いることは全く正当なことであり、それと同じ事なのである。
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