石原慎太郎 東京都知事の発言で有名になってしまった言葉であるが、日本人が使い始めたという説と、在日朝鮮人が先であるという二つの説を聞く。
前者の説はマスコミがさかんに解説しているので省略する。
後者についてだが、米軍占領下の日本で在日朝鮮人はこれまでの日本国籍を捨て、自ら戦勝国でも敗戦国でもない「第三国」の民なる「第三国人」と称した、という説である。
しかし、いずれの説が正しいにしろ、「三国人」への評価に汚名を着せてしまったのは、他ならぬ一部の不良「三国人」であったのではなかろうか。これまで日本にされてきたことの仕返しだから何やったって構わないとばかりに、暴力沙汰を起こしたり、強奪した軍事物資や配給物資を、不法占拠した土地で開いた闇市で高値で売って暴利を貪ったりしたという。
このような態度は、多くの日本人に、「三国人は怖い」「犯罪者」という印象を植え付けてしまい、差別をよけいに煽ってしまっただろうことは、想像に難くない。彼らの非道ぶりには、警察でさえお手上げの状態で、こういった不良外国人の
しかし、朝鮮人や台湾人がみんなこのような不良「三国人」だったのだろうか、否、あの苦しい時代、また日本人からの差別も厳しい時代において、まじめに働いていた人々、日本人と仲良くやっていこうとしていた人も、一方ではたくさんいた。そう、すべての外国人がこのような凶悪犯罪を犯しているわけではなく、全体から見ればわずかである。「三国人」という言葉とは関係なくとも、「外国人を見たら犯罪者と思え」という風潮があるとしたら残念なことである。
いずれにしろ、このような背景を考えて、使い方には気を付けるべき言葉である。
承前。「三国人」という言葉の歴史的事実と時代の背景を検証しておきたい。この言葉は、使われはじめたころのニュアンスとしては、軽蔑(べつ)や嘲(ちよう)笑でなく、畏怖や敬遠に近い。むしろ恐怖の対象であった
▼「三国人」は敗戦後の一時期、日本に居住していた朝鮮半島や台湾出身者をさす俗称で、約九十万人の朝鮮人と約四万人の中国人をいう。二十年十一月三日、占領軍総司令部はこの人たちを「解放国民」と指定した。それは「治外法権」と同義語だった
▼解放国民は肩で風を切る勢いで街を行く特権階級だったのである。東京焼け跡ヤミ市を記録する会編『東京闇市興亡史』(草風社、昭和五十五年)によると「彼らは民族的団結心を結集しつつ、都有地や公有地を占拠し“解放区”を形成した」
▼どぶろく、カストリ、ばくだんなどの密造酒を造り、進駐軍物資の闇市を設けたが警察も全く歯が立たず、ヤクザやテキヤを結集して対抗させた。「警視庁年表」をひらこう。二十一年一月、朝鮮人二十人が富坂署を襲撃し、留置中の朝鮮人を奪還した。同年七月、台湾人百五十人が渋谷署を襲い、巡査部長が殉職した
▼同じ年の十二月には朝鮮人二千人の首相官邸乱入事件というのも記録されている。だからといって、外国人だけが悪かったのではないのはもちろんである。社会全体が混乱と騒擾(そうじよう)のただなかにあった。それは敗戦日本の責任なのだった
▼重ねて書くが「三国人」という言葉は現代では“死語”であって、使うべきではない。しかしそれが生まれた時代の背景には、そんな昭和史の一ページがあったことは忘れたくない。関東大震災などを引き合いに出すのは筋が違うのである。
――「産經抄」、産經新聞4月15日付朝刊。