トルコ風呂

 「トルコ風呂」という名称にトルコ人からのクレームが付いて名称が変わったというニュースを新聞で読んだのは、私が小学生の頃だったろうか。そこが何かエッチなサービスをする風呂屋なのだということは、その当時もおぼろげながら知っていたが、トルコ人の主張ももっともだと思ったものだ。そしてその考えは今に至るまで変わることはない。

 何がいけないのか。本場トルコのトルコ風呂とは単なる蒸し風呂であり、自由恋愛を建前に事実上売春を斡旋しているようないかがわしい店のことでは決してない。日本の「トルコ風呂」は本場のトルコ風呂の名を汚すまがい物なのだ。

 しかし、だからと言って、私は昔の資料や作品の書き換えに賛成しているわけではない。かつてこのように呼ばれていたのは事実であり、その事実を消す事はできない。

 しかしやっぱり、「トルコ風呂」の名称は、本場のトルコ風呂に返して欲しいというのが正直なところだ。その名前にこびり付いてしまった猥褻でいかがわしいイメージが元通りになり、本来の意味でこの言葉を使えるようになるまでには、もっと年月を待たねばならぬかもしれぬ。

差別の話題からは脱線するが「モーテル」という語について

 さて、日本の「モーテル」も、本場アメリカのモーテルの名を汚すまがい物である。アメリカ映画などで既に御存知かもしれないが、本場アメリカのモーテルは、日本のようなカップルの性交渉用に作られたものではなく、一般のホテルの簡易版に過ぎない。日本のような使い方もされないことはないが、元々は一般旅行者のために用意されているものであって、男だけとか家族で利用するのも全く恥ずかしくないどころか当然の使い方である。

 これまた同じく、「モーテル」という名称を、本場のモーテルに返して欲しいし、猥褻でいかがわしいイメージを元に戻して欲しいものだ。

 しかし実は、日本的な意味の「モーテル」は、今や死語となりつつあるのだ。確かに、昔あんなに見かけたはずの、二重丸みたいなマーク(JMHA=日本モータリストホテル協会のマーク)の付いた「モーテル」の看板など、今やほとんど絶滅している。それに、地域の条例の改正により、モーテル形式のホテルは新規認可や改築が難しいこともあってか、今ある「モーテル」もほとんど老朽化したり廃墟と化しており、絶滅も時間の問題だろう。

 結局、日本には、本場アメリカ式のモーテル文化は根付かないものなのかもしれない。


首頁へ