なぜ正字正假名を使ふのか
正字正假名 | 現代表記
戰前の文學作品や文獻の研究
普通、學校の國語の授業で古典や戰前の近代作品を學ぶ時、前者は新字舊假名、後者は新字新假名に書き改められたものを使つてゐる。
なるほど、これなら正字正假名を「苦勞しながら」讀んだりする手間が省けるかもしれぬ。
しかし、原文の持つ雰圍氣をもつと忠實に味はひたいといふのであれば、是非とも正字正假名で鑑賞してみると良いだらう。
文章をレトロ調に味付ける
数年前「おもひでぽろぽろ」と云ふ映畫があつた。
なぜ「おもいで」でなく「おもひで」なのか。
題名をレトロ調に味付けるためである。
このやうな使用法を時々見かけるやうになった。
特に「〜でしょう」を「〜でせう」と書く人は多いのではないだらうか。
言葉の美しさ
俳句や短歌の愛好家には、正假名遣ひで詠む人も結構多い。
しかし、そのやうな俳句や短歌を新假名遣ひに直すと、途端に元の作品の持つ言葉の美しさが半減してしまふ。
不思議なものである。
戰後の國語政策の問題
現在の新字新假名は戰後普及したものであるが、現在では舊字舊假名から新字新假名へ移行したいきさつは、ほとんど忘れ去られてゐる。
實は、これは日本語を簡略化しようとする運動、或は日本語から漢字を絶滅させる陰謀(?)の副産物だつたのである。
さて、日本語の漢字を難しいもの、面倒くさいものと考へてゐる人は結構居るかもしれないが、そのやうな傾向は戰前からあつた。
タトエバ、エーゴ ナラ、アルファベット ガ、タッタ 26 モジ ナノデ、 タイプライタ デ ハヤク ブンショー ガ ウテル ノ ニ、ニホンゴ ワ、ヒラガナ、カタカナ、カンジ ト、カナリ オーイ ノ デ、タイプライタ ガ ツカエナイ。
コレ ワ、トテモ フベン ダ。
ダカラ、ニホンゴ ノ カンジ オ ゼンブ ナクシテ、カナモジ デ、ゼンブ カク コト ニ シヨー。
Arui wa, zenbu roma-zi ni siyo.
Sono ho ga i daro.
(例えば英語ならアルファベットがたった26文字なのでタイプライタで早く文章が打てるのに、日本語はひらがなカタカナ漢字とかなり多いのでタイプライタが使えない。
これはとても不便だ。
だから日本語の漢字を全廃してカナモジで全部書くことにしよう。
あるいは全部ローマ字にしよう。
その方がいいだろう。)
このやうに考へてゐた人も居て、中には「筆記體に出來る獨自の文字を」或は「日本語は捨ててフランス語を國語にしよう」など、突飛な發想の意見まであつたのだが、なかなか實現には至らなかつた。
ところが戰後、またとない機會が訪れた。
戰後は古いもの、傳統的なものを捨てる風潮が高まつてゐたため、カナモジ派やローマ字派は早速それに便乘したのである。
日本が負けたのは、この難しい漢字のせいで教育が遲れてゐたせゐなのだ、アメリカのやうに少ない文字數で國語を書けるやうになれば、もつと教育が進むのだ、といふ理由で。
(しかしそれは事實ではない。江戸時代の日本は正字に加え假名も變體假名まで使つてゐるほどだつたが、寺子屋の發達により、世界有數の教育大國だつた。逆に、アルファベットを使つてゐた国でも教育の遲れてゐた國はかなりあつた。漢字を使つてゐるか否かよりも、教育制度がしつかりしてゐるか否かがむしろ重要だつた。)
しかし、長い間使はれていた漢字を、おいそれとすぐに廢止できるはずがない。
取り敢へず日常生活でさしあたつて必要な漢字は千數百字(最終的には約二千字になつた)殘しておいて、當面の間は使へる漢字(つまり當用漢字)としよう。
あとは徐々に漢字を廢止していけばいいのだ、といふことになつた。
しかし、この當用漢字表といふのが、日常よく使ふはずの漢字なのに入つてゐない漢字が非常に多く、彼はあつても誰がない、君があつて僕がない、僕がないのに我があり、しかし汝はないといつた具合で、とても不便なものであつた。
また、その漢字も簡單な方がいゝといふことで、漢字の字體も簡略化された。
(體→体や萬→万のやうに)從來から筆記用を中心に使はれてゐた略字も結構採用されたとはいへ、中には、全く違ふ意味の漢字をある漢字の略字體に採用したり(藝→芸など)、略字の法則性が崩れてゐるものも結構あつた(專轉傳→専転伝、佛拂沸→仏払沸、獨觸濁→独触濁)。
そのため、當初は評判も必ずしも良いものではなかつた。
このやうに、この改革は漢字の筆記が樂になつたといふ利點の反面、あまりにも性急に行なはれ、無謀なところもあつたため、國語學者や文學者をはじめとする反撥も大きかつたらしい。
それからこの改革は、戰前世代と戰後世代の文化的ギャップを大きくしてしまつたものでもあつた。
戰後世代の多くは夏目漱石すら原著で讀めないのである!
漱石ならまだいいが、新字新假名の“飜譯”のない本はどうなるのだらう。
またこんなこともあつたらしい。
當用漢字表にない漢字は、ほかの漢字で當て字するやう學校で教へられた。
そこで新人社員は會社でそのやうな表記を使はうとしたが、戰前世代の上司には「何だこの書き方は! 間違ってゐる」と云はれ書き直されたといふ。
しかし、時が經つにつれ、新字新假名もかなり定着してしまひ、今度は逆に、戰前世代の上司が戰後世代の新人社員に「こんな漢字は、今はもうないのですよ」と言はれ書き直される時代になつてしまつた。
また、人名に使へる漢字の自由度が非常に低かった(當初は當用漢字しか使へなかつたため、たとへば「宏」はダメだつた)のも不評で、後に人名用漢字表として人名のみに使用できる例外が追加され、當用漢字制限もなし崩しになり始めた。
しかし昭和三十年代ともなると日本社會もだいぶ安定してきた。
昭和三十九(西暦1964)年三月にはとうとう、國語審議會に於いて、「國語は漢字假名交じりをもつて、その表記の正則とする。」と定められ、やつと日本語の漢字廢止化を免れた。
しかし、いつたん簡略化された漢字や、當用漢字制限のため改惡(?)された表記(熔接→溶接、諒解→了解、疏通→疎通、拉致→ら致、信憑性→信ぴょう性、など)などを元に戻すまでには至らず、結局ズルズルと今日まで至つてゐるのが現状である。
このやうな經緯を知つてゐるために、今でも正字正假名で通す人も結構ゐる。
この戰後の國語政策を快く思つてをらず、是非日本語の傳統的表記を守りたいといふ考へからである。
(戰後の國語改革の經緯や問題點に關し、詳しいことは、福田恆存(ふくだ・つねあり)「私の國語教室」(絶版)を參照してください。)
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