ブックオフで一冊100円で買った「ガラスの仮面」(美内すずえ)を二巻まで読んだ。ちょっと前に放映された、安達由実主演のドラマ版は少し見ていたので、原作はどんな話なのか気になっていたが、今日初めて読んだ。
貧乏でおてんばな主人公のマヤが、それとは対照的な「若草物語」の三女ベス役、つまり裕福そうな家に住んで、内気でピアノや編み物が好きな、家にこもりっきりの少女という役を演劇で演じる場面。しかし、ただ台本を読んで振りを付けるだけではベスは務まらない。どのようにしてマヤがベス役の難題をこなしたかは、本を読んでのお楽しみにしておくが、いやはや奥が深いものだ。これまで私が「若草物語」を深く読み下してなかったことに気付かされた。甘かった。
これまた100円で買った、石原慎太郎の「NOと言える日本」を今頃になって読んでみたが、そういえば当時は米ソ対立なんてものがあったものだった。懐かしい。
さて、さっき演劇の話が出たが、演劇と聞いて私が真っ先に連想するのが、私にとっては文字通り「幼き日の淡き夢の国」宝塚である。小学校に上がる前、NHKの朝のドラマ「虹を織る」で戦前の宝塚歌劇を扱っていて、宝塚はいつか見に行きたいと心に決めていた。
今年は地下鉄日比谷駅近くに新しく改築された東京宝塚劇場がオープンしたし、今年こそは宝塚歌劇初鑑賞の野望を果たすつもりだ。しかし宝塚はいつもチケットは取りにくいと噂に聞くし、果たして実現できるやら。いや是非とも実現させてみせる。
宝塚というと、ファンでない一般人には敷居が高いように思える。しかも九割方が女性ファンなので、男性には余計敷居が高い。二年くらい前のことだが、会社の女子社員に「宝塚グラフ」誌を見せてもらった時、名前を知らない俳優ばかり、知らない演劇ばかりで、内容がよくわからなかったのを思い出す(それでも、実際に鑑賞できたら素晴らしいだろうという憧れは残った)。
だが、そういう「高尚な趣味だけど、同年輩の若者男性が手を出さなそうな、変わった趣味」、今年も果敢にチャレンジ(最近は気力も落ちてきたが)してみたい。
今から二十年くらい前、私が小学校に上がるか上がらないかの頃の自動車事情は、今とはだいぶ変わっていた。外見で言うなら、角張った車体、真ん丸のヘッドライトに、三角窓やフェンダーミラーという車が一般的だったし、当時はフォルクスワーゲンが安い庶民向けの車としてゴロゴロ転がっていた。窓には水色地に白い円、その中に「無鉛」の字のステッカーが貼ってあり(無鉛ガソリン用エンジンという印)、少し前には有鉛ガソリンなるものがあったことの名残を残していた。パワーウィンドウでなく手で回転させて開ける窓で、ヒーターはあれどエアコンはなく、そういえば家の車は運転席・助手席のシートベルトを後付けで付けていた(標準装備ではなかった!)し、そのシートベルトも、今みたいな自動調整でなく、長さを手動で調整するタイプが普通だった。
当時の車はよく故障したものだ。ドライブ中、突然ポイントがイカれてエンジンが動かなくなってしまい、ワンボックスカーの助手席シートを上げて(そこにエンジンルームがある)、ポイント交換していた父の姿は今でも思い出す。他にもファンベルトが切れたり、ラジエータに穴が空いてしまい、冷却液代わりに水をつぎ足しながら走っていったり。オーバーヒートなんて言葉は今では死語に近いものがあるが、昔の車はたまにオーバーヒートしたものである。
当時は二年ごとに中古車を買っていたように思う。というのも当時の車検費用の高かったこと、高かったこと。二十万とも三十万とも聞いていたが、それだけ出せば、当時は車検付き(車検整備済)のおんぼろ中古車が一台買えた。下取り費用を考えるなら、車検に出すよりずっと安かったに違いない。
当時はなぜ高かったかというと、点検箇所も多かったし、「部品を交換する必要のないところまであちこち交換して、値段をふっかける」ような車検業者も多い、などとさかんに言われていた。高いけど仕方なく車検費用を払うか、あるいは車検付きの中古車を買うか、という時代だった。
それが、今ではユーザ車検で安上がりに車検を通すことができるようになった。自分で整備して車検場に出すなら、軽自動車の場合、検査費用・重量税・自賠責保険合わせて三万円ちょっと。実際には部品交換とか、ヘッドライトの光軸調整(検査で一番引っかかりやすい箇所。専用の機械が必要なので、普通は業者に頼む)などを含めると、大体四、五万くらいになるだろう。自分で整備できない場合は、車検代行業者に頼めばいいが、それでも十万円を超えるなんてことは、まずなくなった。このような時代が来たのも、車が昔より丈夫になったからこそだろう。
車検も終わったばかりなのに、車が故障した。どうもエンジン音がおかしい。3気筒エンジンのはずが2気筒みたいな耳慣れぬ音を立てていて、しかもパワーが落ちている。これまで3速で楽に時速40kmまで加速できたのが、1速・2速で引っ張らないと40kmに加速できない。それに、排ガスも不完全燃焼なのかどうやら黒っぽい。
とは言え動かないこともない。その日は騙し騙し運転して帰ったが、信号が青になるたびに、1速・2速で精一杯引っ張ってようやく加速という始末。せっかちなドライバーに煽られてばかりでへとへとに疲れてしまった。
恐らく3気筒のうち一つが死んでいるのだろう。ところが、調べれば調べるほど不可解だった。真ん中の点火プラグだけ黒い煤(すす)が付いていたため、プラグがかぶったのかと思い交換してみたが、それでも直らない。キャブが詰まっているのかと思い、人気のないところで思い切りふかしたりもするが、それでも少々改善するという程度で、相変わらず。
他の人に聞いてみると、ディストリビュータ(略称はデスビだそうな)のキャップが割れているのではということで、点検してみたが、どうやらキャップは割れていないらしい。しかし接点はかなり減っていたのでこれかもしれない。
そう思ってディーラー店で部品を買って交換するが、少々の改善にとどまるのみ。ほんの少し加速はよくなったが、エンジン音も排ガスも相変わらず。
そこでプラグを外してみると、やはり真ん中のプラグだけ黒い煤(すす)が付いていた。しかし、外して掃除しても相変わらず直らない。それに、3本のプラグどれもきちんと火花が飛ぶのである。もう手詰まりかと思ったその時、プラグコードの一本にひびが入っているのに気付いた。
なるほど、このトラブルはプラグコードの劣化に違いない! 早速ディーラー店に戻り、プラグコードとセンターコードを交換してみると、これまでのトラブルが嘘のようになくなって、正常なエンジン音に戻った。やれやれである。
10Base/100Base対応の8ポートスイッチングハブが6,000円を切ったので、やっと交換した。これまでずっと10Baseのバカハブ(スイッチングしない安価なハブ)や、ルータ内蔵のハブを使い続けていたが、スイッチングハブがこんなに快適なものだとは知らなかった。
一番変わったのは、FTPのログオンに要する時間である。従来はパスワード認証後2秒以上待たされたのが、今ではほとんど待ち時間がなくなった。それに、FTPでファイル転送する時も、あるファイルを転送後、次のファイルの処理に移るまで少し待たされていたが、それもなくなった。ファイル数が多い時は快適そのものになった。それに、全体的にレスポンスも向上したように思う。
ルータは10Baseだから、新しい100Base対応のスイッチングハブなどまだ要らないとばかり思っていたが、そんなことはない。たとえPCや周辺機器の速度が10Mbpsであろうと、スイッチング機能だけでも結構なレスポンス向上につながるものである。
先日、CD-Rメディアを買おうと、行きつけの地元のパソコンショップに立ち寄ってびっくりした。知名度No.1のはずの、太陽誘電のメディアが姿を消していた。他のパソコンショップに行ってみると、確かに太陽誘電のメディアはあったが、700MB(80分)のものだけで、650MB(74分)メディアがない。他社のメディアも、一部をのぞきほとんど700MBに移行していた。
一昔前はオーバー74分メディアなんてイカモノ扱いで、74分を超える音楽CDをコピーする時だけ、メディアサービス社の74+αというメディアを使ってはいたが、うまく再生できないCDプレーヤも一部あったものだった。
それが今では逆転している。80分メディアの方が標準で、74分メディアが店頭から駆逐されているとは。大して値段が変わらないなら容量の大きい方が売れるだろう、というのが店側の都合なのかもしれない。しかし、80分メディアを読みとりにくいドライブやCDプレーヤも一部あるので、74分メディアも販売を続けて欲しいと思っているのは私だけではないと思う(逆に、相性問題さえ解決すれば、もう74分にこだわることはないのだが)。
また、音楽CDの作成には、10mmケースの方が背にタイトルが入れられて便利なのだが、10mmケースで販売されているメディアもほとんどなくなり、スリムケースや袋入りのものばかりなのも、また問題である。私は当初、三菱のメディアを愛用していたが、三菱がスリムケースに移行してから三菱をやめて太陽誘電に移行したくらい、切実な問題である。
ソニーのメディアは中身が太陽誘電だし10mmケースなので浮気しようと思ったが、これも700MBばかりしか売られてない。650MB・10mmケースにこだわり続ける限り、秋葉原の「あきばお〜」で買いだめしなければならないのか。時代の流れは速いものである。
「アスキーアートは掲示板荒らしの呼び水」
本当にそうでしょうか? 私などこともあろうに、一部で「掲示板荒らしの呼び水」として悪名高き(?)オマエモナーのアスキーアートを自分自身の掲示板に貼り付けたことがありますし、自作アスキーアートもよく描いてますが、掲示板荒らしがやってきたことは、今日の時点で一度もありません。
事実はただ、アスキーアートを見たことのない人が、「荒らし」によって初めてアスキーアートに出会った時に、アスキーアート=荒らしという先入観を抱いてしまっただけのことではないでしょうか。
アスキーアートそのものに罪はありません。ポンチ絵(一コマ漫画)を手軽に描く便利な手段だと、私は思います。
「2ちゃんねるからのリンクは掲示板荒らしの呼び水」
本当にそうでしょうか? 私など何度も何度も(十回近くはあると思う)、2ちゃんねる(匿名掲示板サイト)からリンクを張られたことがありますが、それでも今のところ、荒らされたことがありません。
同じ2ちゃんねるからのリンクでも、比較的まじめな目的でリンクが張られることもあれば、リンク先のサイトをからかう目的で張られることもあります。もし後者のパターンであっても、そのリンクから訪問した人が、掲示板を荒らすか荒らさないかはまた別問題です。
荒らされてしまったとしたら、多くの場合、こちらではどうすることもできない、不慮の事故のようなものでしょう。しかし、よく見られることとして、リンク元の掲示板で「あの掲示板を荒らそう」という雰囲気になっており、リンク先の掲示板で次々に荒らしメッセージが書き込まれているのに、そのメッセージがなかなか削除されなかったり、掲示板運営者や常連が挑発に乗ってしまっていると、面白がって次から次へと連鎖的に荒らしメッセージを書き込まれる傾向があるようです。
ぶっちゃけた話、「掲示板荒らし」というのは、学校のいじめ問題に通ずるところがあります。もちろん、いじめ加害者が一番に悪いのですが、いじめ被害者の思慮が足りないことが、いじめを増幅させているパターンも多いものです。例えば自己中心的だったり、被害妄想がひどかったり、挑発にすぐ応じてしまうような人は、ターゲットになりやすいものです。
毎年春先になっても花粉症にならず毎日元気でいられるのが自慢だった私が、とうとう花粉症にかかってしまったらしい。鬱だ。
これまで花粉症と全く無縁だっただけに、緑生い茂る山道を、窓を開けて車を走ろうが、花粉の気配を感じたことなど全くなかった。だからここ一ヶ月ほど、そんなことなど全然気にせず山道ばかり走っていて、スギ花粉に異常なまでに晒(さら)されていたのだろうが、それが祟ったのだろう。
花粉症を抑える鼻炎薬は副作用がかなり強くて意識がボーッとするものだし、ティッシュペーパーも手放せない。一度かかると毎年発症する不治の病に近いものだ、と聞いていただけに、ショックが大きい。
せめてもの救いは、今のところは、まだ症状が軽いことである。主な症状は目に来ているが、市販のVロート目薬を点眼して一時間は目のかゆみをあまり感じないし、目薬がなくても、まばたきでどうにかなる程度で、目をこするのはたまにという具合。鼻水は普段より若干多い程度で鼻づまりは全然ない(むしろ鼻が空きすぎているくらいだ)。くしゃみに至っては皆無である。
こんなわけで今のところは、あの鼻炎薬のお世話にならずに済んでいるが、体がアレルゲンと闘っているためか、(薬がなくても)頭がだるく、いつもより若干集中力が低下している。よりによって一番仕事の忙しい時期に、花粉症にかかっちまうなんて……。
「ハングル語」なる言葉をよく耳にする。しかし、「ハングル」や「ハングル文字」は存在するが、「ハングル語」なるものは存在しない。
朝鮮語(韓国語とも呼ばれる)がハングル文字を用いて書かれるのは確かだが、それを「ハングル語」と呼ぶのは、ひらがなを用いて書かれる日本語を「ひらがな語」と呼ぶのと同じである。
(朝鮮語はハングル文字しか使わないと誤解している人は多い。確かに現在では、日本語に例えるならカタカナだけの昔の電報みたいに、ハングル文字のみを用いて書く方式が主流になっている。しかし昔は日本語の漢字仮名交じり文と同じく、漢字ハングル交じり文がよく用いられたし、今でも一部で用いられている。日本語も朝鮮語も漢語が多く、漢語の同音異義語も多いので、漢字をむやみに嫌わず大切にして欲しいものだ。)
この「ハングル語」なる妙な言葉は、NHKの「アンニョンハシムニカ・ハングル講座」が諸悪の根元ではないかとにらんでいるが、これは「こんにちは・ひらがな講座」と称しているようなものである。
「朝鮮語」と称すれば民団(韓国系)の機嫌を損ね、「韓国語」と称すれば朝鮮総聯(北朝鮮系)の機嫌を損ねるとでも言うのだろうか。それならあの半島を日本語で「韓半島」と呼ばず「朝鮮半島」と呼ぶ人の方が圧倒的に多いのはなぜだろう(日本で伝統的に朝鮮半島と呼ぶ地域で用いられている言葉なのだから、「朝鮮語」「韓国語」どちらを取るかといったら、「朝鮮語」で十分だと私は思う)。
そこまで気を遣うとしても、「ハングル語」という呼び方、どうなのだろうか。せめて「朝鮮語」「韓国語」どちらとも取れる「コリアン」のほうがいい。
3/9に、私が花粉症になってしまったのではと書いたが、不思議なことに、症状が三日ほどで収まってしまった。今では目のかゆみも全くなくなり、通常通りの生活を送っている。あれは何だったのだろう。
「森首相が退陣するぞー」「退陣するぞー」と大げさに騒ぐ、うそつきオオカミ少年たるマスコミ。しかし実際には森首相は退陣を否定する。実際のオオカミ少年は、オオカミが来なかったことを認めるが、現代のオオカミ少年は一枚上手である。オオカミ森首相がなかなか退陣しないことを、オオカミのせいにしてしまうのだから、大したものだ。
「どっかのガード下から拾われてきた赤ん坊」発言以上に無神経な報道や嘘報道、首相退陣を煽る明らかな政治的偏向報道の繰り返しで森首相を傷つけているマスコミに、「不穏当な言葉」うんぬんを言う資格などあるのだろうか。森首相「逝ってよし」を繰り返すマスコミに「オマエモナー」。
少年犯罪増加の原因は、マスコミが報道するような「暴力的な映画やゲーム」の影響だけとするのは短絡的である。確かにそれも一因かもしれないが、実際には、数多くの要因が絡んでおり、一つや二つの原因で満足していては不十分である。
その中で、マスコミが決して報道しない要因として、マスコミの政治報道が煽った、反権力思想があるのではなかろうか。久米さんも筑紫さんも、毎晩のように政治権威への疑問を植え付け、権威を嘲笑し、反抗を煽っているようなふしがある。筑紫さんなど特に、自分に都合のよい「街頭の声」をうまく利用して。
もちろん、政治家の起こした間違いを糾弾するのは間違っていないが、現状では、ちょっとやり過ぎではなかろうか。毎晩のニュースで政治への不信感をいたずらに煽っているマスコミが、選挙期間になると若者の政治不信を嘆き、棄権しないようしつこく勧めているなど、矛盾も甚だしい。
権威をあざ笑い、権威に反抗することが正義とみなされる世の中では、政治権威はもちろんのこと、役人とか先生、親という権威への嘲笑や反抗も大目に見られる。それも「子供の人権」の錦の御旗を振りかざして。結果は目に見えている。
第二次世界大戦後、欧米諸国や日本の植民地が解放され、様々な国が独立した。しかし、宗主国からの独立が、必ず幸福な結果を生み出すものだろうか。そうとも限らない、と私は思う。
例えば「日帝の圧政」から朝鮮人を解放し、建国されたはずの北朝鮮が、「日帝時代」よりひどい圧政を行っていることは、書くまでもないことだろう。
植民地と言っても良心的な支配もあれば圧政もあった。残念ながら歴史は、後者が多かったことを示している。しかしそうではあっても、独立戦争や、その後の独立国での内紛が、植民地時代より悲惨な傷跡を残すことも多い。一概には言えないものである。
今年の申告から全面的に複式帳簿に切り替えたのはいいけど、どこで間違ってるのか、貸借対照表の左右が合わない…… 期限は明日までだというのに…… 鬱だ……
あれこれ悩み続けた結果(半日も悩んだ)、ようやくB/S・P/L(貸借対照表・損益計算書)の帳尻が合った。
「事業主貸」分に必要経費の家事分を足してなかったことと、売上金額−仕入金額とすべきところを足し算していた(単純なうっかりミス)のが原因だった。テキトーに帳尻を合わせちゃえという悪魔の囁きを振り切って粘っただけあって、ようやく数字が合った時の爽快感は格別なものだ。
さて私は、複式簿記なるものを使ったのは今年が初めてである。会計事務所で働いている友人がいるので、聞いてみようかとも思ったが、考えてみれば今が一番忙しい時期。邪魔してはいけないし、自分の勉強のためでもあるので独学で挑戦してみた。
商業学校で簿記を習った人や、会社の経理担当などは別だろうが、多くの人は会計というと、小遣い帳や家計簿のような単式簿記(収入・支出・残高で記録する方式)を想像するものだろう。私もその方法を使い続けてきたが、現在税務署は複式簿記への移行を薦めており、税金も安くなるため、私もようやく重い腰を上げてそちらへ移行することにしたのである。
複式簿記とは、「借方・貸方・残高」で記録する方式である。「借方」とは店や会社が受け取るもの、「貸方」とは店や会社が払うもの、という意味である。例えば、お客さんに一万円の商品を売った時は、「借方:現金\10,000」「貸方:売上\10,000」とする。逆に会社の備品(この場合消耗品)として百円のノートを買った場合は、「借方:消耗品費\100」「貸方:現金\100」と記録するというものである。(2003/03/10補足:後者の例は貸借が逆になっていたので修正しました。間違いをお詫びします。)
これを全部手書きで付けるのは非常に骨が折れる作業だが、幸い今ではPC用の会計ソフトも安いものが出てきた。現在私が使っているのはインフォネット開発社の「OPENPOWER財務会計」で、確か3万円くらいの商品(今はもっと安くなっている)。勘定奉行ほどの機能は要らないのでこれで十分だし、Microsoft Accessのプログラミングができるなら自由にカスタマイズできる(私も個人事業主向けに少々改造しようかと思っている。事業主貸の自動計算とか、それをB/Sに含めて印刷したい)。
PC用会計ソフトで思うことだが、「事業主貸」「事業主借」の勘定科目を最初から備えたものはあまりないみたいだ。個人事業主でないとあまり使わないだろうし、空いているコードに登録できるので、大きな問題ではないが……
確定申告用の書類はもうそろったはずなのに、よく考えてみると、まだ計算が合わない部分がある。早く直さなくては……
……と思ったら夢だった。夢の中にまで出てくるなんて。今回ばかりは計算合わせに相当悩んだ証拠だ。とりあえず自分にご苦労様。
私が小學生か中學生の頃は、結婚相手は處女であるのが普通當然なのだと思ひ込んでゐたし、非行少女を除けば、他は貞淑な乙女となのだと信じてゐた。大人になり、そんな結婚相手を見附けるのがどんなに難しいことかを知りショックだつた。
ロンドンブーツの「ガサ入れ」は、半分は茶番劇なのだらうが、ああやつて戀人に平氣で嘘をつき、平氣で他の男と寢るやうな淫賣女のやうな恥知らずな女が、この世の中に多いといふことだけは、眞實なのだらう。
結婚とは人生の中で一番大きな契約である、男女の愛を契約の形で表したものである。そんな結婚を嘲笑ひ、婚約者に嘘をつき平氣で浮氣する、不倫を「失樂園」と美化する、そんな態度は、私はどうしても許せぬ。
會社と會社の契約を破るなら「ごめんなさい」で濟まぬ問題も多い。いはんや男と女の契約は。
6歳のサム*は、学校から帰ってくると、自分の部屋の本棚に直行するのが日課となっています。母親のエレナは、宿題もそっちのけで「スーパーマン」の漫画に熱中する息子の姿にまゆをひそめます。「息子はスーパーマン中毒なんです。息子の頭の中は、寝ても覚めてもスーパーマンのことで一杯です」と、エレナは語ります。
17歳のアイリーンは、毎晩インターネットのチャットルームに“はまって”います。時には深夜の2時や3時になってしまうことも珍しくありません。「顔は見えないけど、いろんな世代の人と会話ができるところが魅力的なんです」と、彼女はうれしそうな表情を見せます。
「連続テレビドラマに夢中なんです」と語るのは、26歳のシンシアです。「毎週のドラマ展開には本当にハラハラさせられます。主人公のダニエルが瀕死の重傷を負ったところで終わりになった週など、思わず『神様、どうかダニエルの命を救ってください!』と祈ってしまいました」。
子供の絵本やディズニーランドから高尚なオペラまで、さらにはインターネットといった最新技術に至るまで、“架空世界”を楽しむことは人々の生活に広く浸透しているように思えます。
一方、そのような現象に危機感を抱いている人々も少なくありません。「架空世界にのめり込むことには危険が伴います」と、パタソン大学のゲーリー・デール教授は自著「架空世界にのめり込む人たち」の中で警告しています。
ところで、「架空世界」とは果たしてどのようなものなのでしょうか。また、それは本当に有害な娯楽なのでしょうか。
(眠くて続きを書く気力がないので、次回へ続く)
*仮名です。なお、ここに登場する人名・団体名・個々の事例等はすべて架空のものです。
今日はどのサイトを見てもネタ(作り話)に見えてくる……
ちなみにうちは四月馬鹿ネタはやりません。4月1日を狙ってわざわざ準備したネタというのは滑りやすいので。
というより、ニュースメディアそのものが一年中四月馬鹿気分で「森総理“事実上の”退陣」とかデタラメを振りまいてるこの世の中、嘘ニュースはさんざん聞き飽きた。
夢みたいな体験だ。廉価なモデルとは言え、パーカー万年筆(最近売っている元々千円の安物とは違う)を、千円で手に入れてしまったとは。
駅前裏通りの少しさびれた文房具屋で、ショーケースの中に処分品の万年筆が。千円の古いセーラー万年筆数本と、その隣に六千円の値段を消して千八百円の、古いパーカーのペンが何本か。
私は普段はプラチナを使っているが、セーラーが千円なら魅力的だ。それにパーカーも気になる。しかしパーカーは万年筆ともボールペンとも書いてない。ボールペンなら用はない、私が欲しいのは万年筆だ。
店員に「このパーカーはボールペンですか、万年筆ですか」と聞くと、すぐショーケースから次々と取り出してくれた。最初のは残念ながらボールペン。しかしその後に出てきたのは万年筆、万年筆……
ただ、デザインがあまり気に入らなかったり、線が太かったりするのもあって、結局一本に絞り込んだ。あまり古いものだからか、千円におまけしてくれた。
しかし、これで驚きが終わったわけではない。車に戻ってよく見てみると、金属でできたインクカートリッジのようなものが元々付いているのだ。一瞬我が目を疑った。コンバータだったのだ。
アンティーク万年筆をお使いの方ならご存じかもしれないが、万年筆のインクは、プラスチックのカートリッジに入ったインクを交換するタイプのものが考案される前は、インク瓶からスポイトで万年筆にインクを移すとか、万年筆のインク溜めそのものがスポイトになっていて、ペン先をインク瓶に突っ込んで吸い込む仕組みになっていた。
コンバータは後者に近い。インクカートリッジの形をしたスポイトと言えば話が早いだろうか。金属製の細い筒の中にゴムサックが入っていて、その中にインクをためる構造になっている。もちろん、コンバータを外せば、普通のインクカートリッジを付けて使うこともできる。
後で調べてわかったのだが、これは「パーカー45」という、やっぱり低価格帯のモデルで、1960年に発売開始されたという。恐らく進学祝や就職祝等に沢山出ているだろうし、プレミア性はそれほど期待できないだろう。そもそも、元々六千円なのだ。万年筆マニアには「なんだこんな安物で喜んでいて」と笑われるかもしれない。
しかしホントに……コンバータは初めてだった。父もかつては万年筆党だった(今はすっかり足を洗ってしまった)が、カートリッジしか使ってるのを見たことがなかった。パイロットのインク瓶はあったと思うし、もしかしたらコンバータも持っていたのかもしれないが、コンバータでインクを補充しているところなんて、一度も見たことがなかった。
唯一残念なのが、このごろはパーカーのインク瓶を扱っている店が、近所ではほぼ絶滅に近いこと。今度銀座の伊東屋あたりで探してみるか……
2001-04-18
「オマエモナー」。掲示板での迷惑な煽り発言を撃退する魔法の言葉らしい。
しかし、考えてもみれば、果たして現実社会で「お前もな」と突っ込みを入れる人って、どれほどいるだろうか。普通は、「お前もな」じゃなくて「それはお前だろ」と切り返すものらしい。
「『お前もな』ということは、お前がそう(=バカ、気色悪い、死んでいい、など)ってこと認めてるんじゃん」。大抵はそんな反応が返ってくるだろう。
なるほど。でもそれこそ正に、「オマエモナー」の意味するところではなかろうか。
「お前が俺のことをバカ扱いしても気にしないさ。そうさ、俺はお前から見りゃあ、バカだろうよ。でもさ、そう言ってるお前だってバカじゃないのか?」
相手がバカと言うのを「そうさ、俺はバカさ」と、ワハハと笑って流せるだけの余裕がなければ、とても「オマエモナー」とは言えない。そうやって自分をユーモアのセンスで笑い飛ばした後、「でもお前だってそうだろ?」と切り返す巧みさ。たった一言だが、何と意味の深いことか。
なんぢら人を審 くな。審 かれざらん爲なり。己 がさばく審判 にて己 もさばかれ、己 がはかる量 にて己 も量らるべし。何ゆゑ兄弟の目にある塵を見て、おのが目にある梁木 を認めぬか。視 よ、おのが目に梁木 のあるに、いかで兄弟にむかひて、汝の目より塵をとり除かせよと言ひ得んや。僞善者よ、まづ己 が目より梁木 をとり除け、さらば明かに見えて兄弟の目より塵を取りのぞき得ん。(聖書・マタイ傳七ノ一〜五)
(
このようなキリストの言葉もあるのも思い出したが、少々のことだったら、自分にひどいことを言われても「オマエモナー」と笑って流せる人になりたいものだ。
マスコミがさんざん煽ってきた「森首相、事実上の退陣」は、本当になってしまったようだ。
私が思うに、「天皇を中心とした神の国」「支那事変」「大東亜戦争」といった森総理の“失言”は、文脈と背景を考えれば、まあ許せるか、問題があっても情状酌量の余地があるものが多いと思う(もっとも、配慮のなさはあるとは思うが)。しかし、つい最近の田中真紀子の故小渕首相こき下ろし発言は、どうだろう。森首相の発言と比べては失礼に思えるほど、余計にひどい発言ではなかろうか。
それが、一昔前のミッチーvs.サッチーのように、田中真紀子vs.自民党執行部の「バトル」みたいに面白おかしく報道するとは、どうしたことだろう。
2001-04-21
……という有名な台詞が、前にCMで流れていたが……
でも、子供を決してぶたない親父なんて、いるのだろうか?
子供が悪いことしたら、ぶつくらい、当たり前だと思っていたが、違うのだろうか?
(児童虐待被害者からクレームの付く前に補足しておくが、子供が悪いことしてないのに、言いがかりを付けてぶつとか、単なる憂さ晴らしでぶつとかは問題外だけど。)
「古い思想だ」と笑え。でも、子供を決してぶたない親父なんて、やっぱり、私には想像できない。
2001-04-28
はなごよみ初のVOW的ネタだろうか? 面白いものを発見したので紹介。
某100円ショップで、こんなぬりえが売られていたが、構図が狂い過ぎではないだろうか。あまりに構図が狂い過ぎていて、店内で笑いをこらえるのが大変だった。
かく言う私も、構図が狂うことがないわけではない。しかし、子供の描く絵とか、一個人が趣味で描く絵ならともかく、これは商売である上に、子供に与えるぬりえである。こんな斬新な構図が、最近の子供に人気があるのだろうか……
2001-05-05
皆さんは一太郎やWord等のワープロソフトを使って文章を作っていたり、Excelや1-2-3で表を作っていて、ある行(あるいはセル)を中央揃えにしたい時、どのように操作するだろうか。きっと、ツールバーの「中央揃え」ボタンを使う人が多いことだろう。
――中央揃えボタンを使ってセンタリング――
ところが、初期のワープロ専用機に慣れているオジサン族の中には、スペースをいくつも入れてセンタリングする人がいる。
――スペースを使ってセンタリング――
昔のワープロも、[機能]+[センタリング]キーとは、単に、中央揃えになるだけのスペースを自動挿入する機能に過ぎないものも多かった。ところがこれがくせ者である。用紙サイズを変えるなどして、一行の文字数が変わってしまうと、せっかくセンタリングした行を、もう一度[機能]+[センタリング]キーを押してセンタリングし直さなければならない。一度文頭に入れたスペースも含めてセンタリングしてしまい、よけい右に寄ってしまうタコなワープロもあったが、その場合はスペースを除去してセンタリングし直さなければならない。ツールバーで「中央揃え」のできる今と比べると、全く手間のかかる話だ。
なお上にある二つの例は、二種類のセンタリングの違いを再現したものであるが、皆さんお使いのブラウザのウィンドウサイズを変えたり、フォントの大きさを変えてみると、その違いがわかるだろう。中央揃えだとウィンドウサイズやフォントの大きさを変えても中央のままだが、スペースを使ったものは、ウィンドウやフォントの大きさによってすぐずれてしまう。私は1024x768ドットの画面で、IE5.01を使い、フォントサイズを小にして作成したが、これ以外の環境では、確実にずれてしまう。
まあ、ワープロの場合は最終的には紙に印刷されるのだ、出力結果さえ良ければ(スペースでセンタリングしようが)すべてよし、とも考えられよう(文書の再利用性を考えると、私は完全には納得できないが)。しかし、ウェブページの出力先は、各自のパソコン、それもWindowsがあればMacやLinuxにインターネットテレビもあり、解像度も640x480、800x600、1024x768などまちまちであり、フォントも各々異なり、ウェブブラウザによってレイアウトも異なってくる。どの端末でも出力結果を統一することは、まったく不可能である。
仕事で“ホームページ制作”を依頼されることがあったり、“ホームページの作り方”を教えてほしいと頼まれることもある。しかし、そういう時に限って、このことを理解していないお客さんが多い。どの解像度でも比較的バランス良く表示されるようデザインすると、640x480からはみ出る画像は、まず使えない。しかし、そうやって、640x480ドットの限界を考えて、一生懸命努力してデザインしても、結局は半分無駄なのだ。お客さんのパソコンでは高解像度のディスプレイを使っていて「もっと画面一杯に広げられないものか」などと注文されることなど、ざらである。他のパソコンでは表示が切れてしまうことがありますよ、それでもいいですか、と言うこともあるし、どうしてもわかってもらえなければ、仕方ない。お客さんの要求が第一なのだ、お客さんのパソコンの環境に合わせてしまうしかない。
現在のHTML規格であるHTML4.01では、tableタグを表でなくレイアウト目的に使うのは想定外だし(ExcelをDTPソフトの代用にするのと同じ)、HTML中で色やフォントサイズ、フォントといった物理的属性を指定するのではなく、スタイルシートを使うことが推奨されている。
しかし残念ながら、このHTML4.01の思想や、閲覧環境によってレイアウトは異なって当然という考えは、なかなかお客さんに受け入れてもらえない。どの環境でも平均的にきれいにレイアウトされるデザインを求めているお客さんなんて、あまりいない。他の環境でデザインが崩れようが、とりあえず自分のパソコンに合わせてくれというお客さんばかりなのだ。また、tableタグでのレイアウトも、閲覧環境によっては正常に表示されないし、そもそも想定外の使い方だが、今なお“必要悪”としてしぶとく生き残っている。
ウェブサイトの作り方を教えるにしても、Shockwave FlashやJavaScriptで「マウスポインタを動かすと画像がくるくると変わる」ような、奇を
さて、私も「はなごよみ」を、HTML2.0/3.2での記述から、HTML4.01 Transitional/Frameset+スタイルシート(いずれはHTML4.01 Strictにしたい)に少しづつ書き直しているところである。<p>タグを改行に使うのをやめる(HTML2.0時代から誤りなのだが、私がHTMLを覚えた頃から、改行目的にも使えるタグという誤解は広まっていた)とか、fontタグでなくスタイルシートを使うなど。最初のうちは、HTML4.01は面倒臭い、現状にもそぐわない、と思って敬遠していたが、いざ使ってみると、それほど難しいものでもない。クラスという機能を使って、同じタグでも引数によってスタイルを変えることができる機能も便利だ。それに、Netscapeもバージョン6になってスタイルシートがマトモになった(従来は日本語のフォント指定ができない致命的欠陥があった)から、ネスケに遠慮すべき理由もなくなりつつある。
残念ながら、我が「はなごよみ」の「ホームページ実験室」セクション(今後廃止予定)は、古いHTMLで説明しているだけでなく、<p>タグを改行に使う間違いも一部含まれているので、これからHTMLを学ばんと志す方にはおすすめできない。TNN氏による言葉 言葉 言葉ウェブサイトの、PC Tipsというセクションがわかりやすくておすすめ。
2001-05-08
―1996-10-29掲載のものを再掲(一部加筆修正)―
10月というと,赤い羽根の共同募金の時期。
私の小・中学時代には,希望者も希望しない人も全員に赤い羽根を配布され,各自20円以上寄付するように,と言われて半強制的に募金が集められていました。そういえば,母の日の,胸に飾る小さなカーネーションの造花もそうでしたが,この「半強制的」なところが,私はずっと疑問でした。
他にも「平和の鐘鉛筆」なる,広島・長崎の被爆者のための運動もありましたが, こちらは鉛筆を買うも買わないも自由(と言っても,クラスのほぼ全員が買っているので,周りに押されて買ってしまう人も一部にいるのかもしれない)だし,まだいい方でした。
でも,カーネーションや赤い羽根の場合,希望するか否かにかかわらず,全員に配布され,時には,月ごとの集金に含めて半強制的に徴収している学校も多いのが,実は現状。
「たかが20円くらい,いいじゃないか」なんてことだろうけど,考えてみてください。駅前に立っている共同募金のお姉さんたちは,「ここに20円以上入れないと,通さないわよ!」なんてこと,社会人の皆さんに言うと思いますか? 税金とか町内会費とかPTA会費などではあるまいし,義務として払うようなものでなく,自発的な寄付であるのは,もちろん常識。
それなのに,学校では,(恐らく共同募金の関係者ではなく学校の問題だが)集金として,半強制的に集めることが一般化しているのです。しかも,クラスのノルマまで決めているケースだってあります(ゼッタイ変!)。
関係者には悪いけど,こういうのを見てきただけに,どうもカーネーションと赤い羽根の募金は,正直言って,今でも嫌なイメージが残ってるんだよね,私って。
関連リンク:学校における強制募金の実態
2001-05-13
昨今は女ですら使わなくなったのかしら。
※ちなみに「…かしら」は女言葉ではなく、男も使います。どちらかというと、女が使う頻度が高いかもしれませんが。しかし、「…かしら」という表現は、「…わ」「…だわ」(ただし、関西弁のものを除く)と共に、死語となりつつあるようです。
2001-05-29
うちのサイトのコンテンツが、意外な使われ方をされているみたいだ。
掲示板に「そうッスね」とコメントする代わりに、ソースっねの画像へのリンクが結構使われてるらしい……
あと、インターネット・スラング集って「通信用語の基礎知識」とか、某2ちゃんねる用語集などに比べても、収録語数がまだ少ないのに、意外と使われていたのも驚き。
2001-06-04
世の中BSデジタル時代だというのに、つい最近BSアナログを入れた私である。NHK-BS2で宝塚公演を時々放送していると聞いて入れたのだ。他にも昔の番組の再放送、例えば朝の連続テレビ小説や衛生アニメ劇場も気になっていた。
ところが、実際には宝塚公演の放送は、BS2ではあまりやってなくて、ハイビジョンばかりで、期待は半分裏切られてしまった。ハイビジョンテレビなんてブルジョアのゼータク品は持ってないのだ。
……しかし、今日からBS2でも、「ベルサイユのばら」平成版の放送が始まった。この日をまさに待っていた。
ところが、その前にハプニングが起きた。せっかく据え付けたBSアンテナが、先週末に全く受信しなくなってしまったのだ。家の壁の塗装工事のために業者が足場を組んでしまい、その足場でアンテナがふさがれてしまったのが原因だった。この放送ばかりは是非とも見ておきたい。家の周りの、代わりの設置場所をあちこち探し回ったが、こう四方に足場を組まれてしまっては、電波の入らない場所だらけ。
ところが、アンテナを立てる絶好の場所を、一つだけ見落としていた。VHF・UHFアンテナを立てているマストに一緒に付けてしまえば良いのだ。このアンテナは北向きで、南はマストの下の方が家の二階という障害物でふさがれていて、マストの下にBSアンテナを設置しても電波が入らないとばかり思いこんでいた。ところが、できるだけ高く設置してやると、入る入る、きちんと電波が。これで一件落着だ。
さて、テレビと劇場両方を含めて、宝塚歌劇を見たのは今日が初めてである。すばらしいの一言に尽きる。
私は長嶋さん(ミスターG)並に人の名前を覚えるのが苦手なので、誰が演じているのか忘れてしまったが、オスカル役もアンドレ役もダンディでいい。見入ってしまうと、本当は女が演じているのだということをしばし忘れてしまう程だ。そして“白ばら”たるオスカルらダンディな男役が、“紅ばら”たるマリー・アントワネットら娘役の女性らしさを引き立てている。
実は私はベルばらの原作をほとんど読んだことがないのだが、それでもストーリー進行はとても惹き付けられるものだった。各登場人物の心の葛藤をよく描き出していた。そして、宝塚の最後はフィナーレ。あの大階段でのダンスに歌にラインダンスに。普通の演劇では劇の最後にオールキャストが壇上に出てお辞儀をして終わりなのだが、宝塚式のこのような締めくくりはサービス精神たっぷりで非常に良かった。
でも、テレビでなく劇場で直接見られたら、感動ももっと大きいに違いない。そのうち是非ともチケットを手に入れて、生で宝塚歌劇を見てみたいものだ。
実は、現在NHK-BS2で、朝の連続テレビ小説「虹を織る」の再放送を4月からしているらしいことに、今日になってやっと気付いた。戦前の宝塚歌劇を扱ったドラマで、小さい頃に見て以来、ずっと見たかったものだ。特に私は現代の宝塚歌劇よりも、(白井鐵造が宝塚歌劇にシャンソンを取り入れて、現在のような西洋風で甘美な少女趣味なテイストに仕立てたばかりの頃の)戦前の宝塚歌劇にむしろ興味があるから、是非とも見たかった作品なのだ。
あゝそれなのにそれなのに、忙しさで、テレビ番組表を隅から隅まで見てなかったからか、今の今になるまで気付かなかった。ヅカファンになりたい私のような人は、宝塚歌劇の公式サイトを定期的にチェックすべきか。私もここを久しぶりに見て気付いた。
明日から録画することにしよう。約二十年ぶりに「おゝ寶塚」の歌を聴くことができることを願って。
2001-06-13
2001年6月12日(火) 22時56分
事件模倣のゲーム、ネット上に出回る=「遺族の感情逆なで」と関係者(時事通信)
大阪教育大付属池田小学校で児童8人が刺殺された事件を模倣したゲームソフトがインターネット上で出回っていることが12日、分かった。ゲームを発見した日本コンピュータクラブ連盟(本部大阪市浪速区)の山本隆雄理事長は、「あまりに不謹慎だ」と批判している。
同連盟によると、このゲームは「池田小PT※」と名付けられたホームページ(HP)で同日ごろから配布されたとみられる。事件で逮捕された宅間守容疑者(37)の写真をクリックするとゲームが開始され、プレーヤーが同容疑者に成り代わって同小に侵入、児童らを刺殺する数を競う内容。
HPは「このゲームが事件の風化防止に一役買えれば」などとしているが、山本理事長は「遺族の感情を逆なでするとしか思えない」と話している。
こうしたゲームは、1997年の神戸の児童殺傷事件や、今年ハワイ沖で起きた実習船沈没事故など、多数の死傷者が出る事件、事故が起こるたびにネット上で出回っているという。(了)字解※=Aを180度回転させたもの。
[時事通信社]
上のニュースはYahoo! JAPAN Newsのものである。このニュースを新聞やテレビで見た多くの大衆は、「ああ、また不謹慎ゲームとは。インターネットって怖いわねえ」と思うことだろう。
ところが、このような不謹慎ゲームが出るたびに、いつも、いの一番に見つけてマスコミ各社に「ご注進」している、この謎の団体、「日本コンピュータクラブ連盟」(以下、日コン連)とは、どんな団体なのだろう。この団体の実態は新聞でもテレビでもほとんど報道されることがない。
あえてリンクは張らないが、まあ、どうしても気になる人は、日コン連のサイトを検索して見てみるがいい。百聞は一見に如かず。私など初めて見た時、精神病患者が妄想を書き綴ったサイトだと勘違いしてしまった。いや、勘違いでないのかもしれない。自分が何度もマスコミに登場するこんなに偉い人なのだという誇大妄想や、こんな被害に遭っているという被害妄想や、怪しげな霊能者のお告げや「地震予知」といった内容が並ぶ。以前はコピーCD-ROMをゲーム機で動かせるようコピープロテクトを外すICチップを売っているアングラな臭いのするサイトでもあったのだ。本当にマスコミ各社があんな気狂いじみた団体を信用しているのか、と驚かれるかもしれない。
いや、団体とは言えないだろう。「連盟」のメンバーは山本隆雄たった一人だという。この自称「連盟」が、怪情報ばかり流しているとのことで、古参のパソコンユーザには非常に評判が悪い。毎度毎度の不謹慎ゲームも、彼が作って、いかにも自分が発見したかのようにマスコミに「ご注進」しているのではないか、という自作自演疑惑も持たれている。
今回の不謹慎ゲームも、「またあの日コン連のマッチポンプか……」と、冷めた目で見ている古参のネットワーカーは多いようだ。
2001-06-27
このサイトは「はなごよみ」と名は付いているが、その割には花に乏しい。何のために「はなごよみ」と名付けたのかわからなくなりつつあるのが現状だ。
本来は、「はなごよみ」と改名以来、花をあしらったデザインをあちこちに取り入れよう、各セクション毎のイメージフラワーを付けよう、と考えていたが、なかなか作業が進まなかったのが実情である。
このままではいけない。ようやく重い腰を上げて作業開始。まずは手始めにと、各セクション毎に花柄の区切線を取り入れてみることにした。
トップのイメージフラワーは桜、「レトロページ」のそれをリラ(ライラック)に決定。桜とリラを図案化した区切線を作ってみた。
さて、スタイルシート対応でHTMLファイルを作っておくと、こんな時非常に便利。CSSファイルをちょっと書き換えただけで、同じセクションの全HTMLファイルには手を付けることなく、区切線がみんな花柄に変身!
一つだけ残念なのが、Internet Explorerでは花柄区切線の周囲の枠が消えずに残ってしまうので少々見苦しい(Netscape 6では消えている)。最初は白地に桜色で描いていたが、このことも考えて逆に桜色地に白に変えてみた。
さて、他のサイトのイメージフラワーは何にしようかしら。各セクションで扱うテーマにふさわしい花を現在検討中(皆さんもオススメの花があったら教えてください)。とりあえず、房総セクション=菜の花は決定(県の花だし)。